”公人の死と言う社会的出来事”を”1人の人間の死”とだけは捉えられない影響力について

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心・心理学

7月8日、演説中の元総理である安倍晋三氏が銃撃され、搬送された病院で死亡した、という衝撃的なニュースが飛び込んできました。

しかしSNS上では不可解な点が多いとのことで様々な検証の投稿が溢れ、大手メディアからは「デマの拡散に気を付けて」と、コロナやウクライナ問題と同じような状況が繰り返されています。

また選挙が近いことから、「選挙に影響する」という趣旨の発言も多くなりました。

ただそうした安倍氏という公人の死の影響について語っていることに対し、何を言っても「不謹慎だ」というムードが一方で社会を包んでおり、その両者で分断が起きています。

今回は公人の死がもたらす影響力と、1人の人間として死を悼む気持ち自体が利用されている点について書きました。

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「不謹慎だ」と述べる人の心理とは?

今回の安倍氏の死に対し、”1人の人間の死”として喪に服せ・余計なことは言うな、というムードがあります。最も顕著な言葉に「不謹慎だ」というものがあります。

「不謹慎だ」と述べる人の心理とはどのようなものでしょう?

それは「人間死んでしまえば誰でも同じ」という考え方が根底にあるように思います。生前どんな悪いことをしたとしても、死人に鞭打つようなことをするな、という考え方です。

この考え方は、人の死は誰にでも起きる真理であると説く仏教の考えに通じるものです。ですので、決して間違った考え方ではありません。

しかしそれは物事を一方向から見た正しさに過ぎないのではないかと思います。つまり1人の人間が亡くなった、という一側面からだけ見たものです。

”公人が死亡した”と言う社会的出来事のもたらす影響

安倍氏が銃撃され死亡した、という出来事は、安倍氏個人の死であるとともに、元総理が何らかの理由で狙撃されて死亡した、という社会的な事件と言う側面があります。

つまり遺された側の私たちにとって、大きな意味をもたらす出来事であると言うことです。

例えば、NHKが安倍氏に関する特番を放映することに対して、選挙への影響を考えないのか、といったコメントが多く寄せられています。

そしてさらに踏み込んで考えれば、公人としての安倍氏が、このように銃撃されるという出来事自体に、何からの裏があると考える方が自然でしょう。

たまたま通りすがりの人が簡単にできることではないですし、また犯行を計画するにも状況が出来過ぎていたと考えられる状況でした。

もし何らかの計画の中での銃撃だったとすれば、その後に起きる社会的な影響も含めた犯行計画だったということになるのではないでしょうか。

もしそうだとすれば、誰が、なぜこのような計画を立て、そして実行したのか、さらには真実は何であるのか、ということも検証されるべきでしょう。

さらには、市民がたとえ喪に服すような気持ちになっていても、安倍氏の死と言う社会的出来事の影響は否応なく浸透していきます。

むしろそうした特定の方向に人々の気持ちを向けることで、スムーズに物事が進行できる、というのが計画した側の狙いかもしれません。

もちろん推測に過ぎない話ですが、1国あるいは世界に影響を与えてしまう人物へのテロ、という出来事を、1人の死を悼む、という気持ちだけで片付けるのはかえって危険だと思います。

もちろん各人が心の中で死を悼む気持ちはあって当然ですが、声を大にして「不謹慎だ」と主張することの影響についても考えてほしいものです。

ウクライナ問題にも通じる、”最も人道的な考え方”への安心感

そして安倍氏銃撃の真相は何なのか、とSNSでも銃撃の瞬間の映像などを検証した投稿が多くなっています。またこの出来事がどんな意味を持つのか、についても議論がなされています。

こうした投稿に対し、やはり今回も「陰謀論だ」と罵倒するようなコメントが多く寄せられる事態になりました。

ウクライナ問題の際にも起きた、大原則を語って安心できる立場から罵倒する、という現象が今回も起こっています。

「人のために」という言葉の落とし穴 – ワクチン、ロシア・ウクライナ問題に通じるもの

つまりそれは、最初に述べたように、「1人の死として悼む」ということが、最も人間的で正しいあり方だ、と誘導されてしまっている、と言う問題です。

これはある面での正しさでしかなく、真相から目を背けさせてしまう見方だと思います。

また銃撃を行った犯人に対する「言論を暴力で封じ込めるな」と言う主張も、非常に真っ当ではあるものの、それだけを唱えていても真相は見えてきません。

こうした大原則を語ることは、テロと言う不安を掻き立てられる出来事に対して、最も心を落ち着けることができる方法でもあるのです。

しかし大原則を大勢で語れば、世論はそちらに操作されていきます。そうなれば、真相が解明されることなく、流れていってしまうのです。

最も人道的で大原則を唱えることは、ややもすると思考停止を意味します。この出来事から何を読み取れば良いのか、という思考を止め、自分が人道的立場にいることに安住してしまうのです。

まとめ

今回のテロ行為によって、かなり人々の心が乱されることになりました。

そうした不安が連鎖を呼び、大原則とも言える人の死を悼め、という主張が「不謹慎だ」という声を多くしているように見えます。

しかしこれだけの出来事が、偶然起きたと考えるのはお気楽過ぎるように思います。

計画通りに物事が進むように、周到に準備されたもののように思われます。それは安倍氏が襲撃されることだけでなく、私たちにも何らかのインパクトを残すために行われたと見て良いでしょう。

私たちが今大事にしなければならないのは、自分自身の感覚だと思っています。

大原則である「人の死は悼むべき」とか「暴力はいけない」と言う言葉は、聞こえはいいですが、自分自身でこの出来事を何も考えていないのと一緒になってしまいます。

人の死には心を傾けつつ、何が起きているのかという真相に目を向ける姿勢は決して不謹慎なことではないように思われます。

大事なことは、自分が信じたもの・自分の軸を持って情報を受け止め、発信をしていくことではないかと思っています。

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