「本当ですか?」が口癖の人は真実にたどり着けない!? – 不確かな情報の受け止め方とは

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心・心理学

インターネット上で真実を伝えようとする発信者のもとには、「それは本当ですか?」というコメントが書かれているのをよく見かけます。

インターネット上の情報は玉石混交で、誤った情報も溢れています。中には、にわかには信じがたいような情報が出回ることもあります。

「それは事実なのか?」と立ち止まる姿勢は理解できるものの、わざわざ発信者に「本当ですか?」と書き込む人には、どこか違和感を覚えます。

そして「本当ですか?」と尋ねている人は、いつまで経っても真実にはたどり着けません

この記事では、「本当ですか?」と尋ねることの何が問題で、なぜ真実にたどりつけないのか、そしてどんな心理なのか、解説してみたいと思います。

そして不確かな情報に対しては、どのような態度を取れば良いのか、そのヒントを後半で書いています。

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「本当ですか?」と尋ねる人の問題点と心理

前半では、すぐに「本当ですか?」と尋ねる人の問題点と心理を解説します。

一見すると、本当かどうか確かめることは、真実を求める姿勢のようにも思われます。しかし、根本的な姿勢がズレているために、不快な印象を与えていることを自覚すべきでしょう。

そして逆に真実から遠ざかるような姿勢である点には要注意です。

発信者への敬意がない自分本位の態度

まず、「本当ですか?」と尋ねる人の問題点を述べましょう。

「本当ですか?」と尋ねるということは、尋ねている人の関心は、「情報が本当かどうか」だけにしかありません。

一方で情報の発信者は、発信する情報について、苦労して吟味しています。そして真実を伝えるには、誤った情報を掴んでしまうリスクも承知の上で、それでも情報発信をしています。

なぜなら発信する内容には、少しでも多くの人に真実に気づいてほしい、と言う思いがあります。そして「こういう世界を目指したい」という願いを込めているのです。

その思いを伝えながら、どのように情報を受け止めるのか、については受け手の判断に委ねています。

「本当ですか?」と尋ねる人は、その思いの部分は全く無視して、「情報が本当かどうか」だけを尋ねるのは、失礼な態度ではないでしょうか。

つまり、「本当ですか?」と尋ねる人には、情報を発信している相手が全く見えていないのが問題です。情報が正しいかどうか、と言う自分の関心事だけを押し付けているのです。

まずはシンプルにコミュニケーションの点から、失礼な態度であると言えるでしょう。

自分の軸がない

しかし、相手に失礼というだけではありません。真実を求める姿勢としても、実は大いに問題があります。

ここまで書いたことを読んで、「情報は正しくなければ意味がない!」と思った人がいるかもしれません。しかし、情報の正しさにこだわり過ぎる人は、注意が必要です。

一見すると、情報を客観的に見つめ、正しいかどうかを冷静に見られることは、中立な態度で望ましいように思えます。

しかし、客観的な判断とは、結局のところ、自分で何も判断していない、と言うことを意味します。

つまり、目に見える証拠があるから正しい、証拠が見つからないから嘘だ、と判断の基準が自分の外側にあり、自分の軸がないのです。

「本当ですか?」と尋ねる人には、まず「あなたはどう思いますか?」と尋ね返したいところです。返答に詰まるようでは、自分では何も判断していないことになります。

本当に真実を見抜くためには自分の軸を持つ必要があります。

なぜならば、真実こそ隠されており、簡単には表に出てきません。簡単に表に出てくるような話であれば、何もここまで血眼になって探す必要もないのです。

私たちがたどり着けるのは、いくつかの可能性の範疇であることが多いです。その可能性について、自分自身で判断しながら、真実はどこにあるのか探り続けるしかないのです。

自分で判断しなければ、より正しそうな情報が出てくればそちらに近づき、やっぱり嘘だと思えば、あちらに移動し…とさまよい続けることなるのです。

そして、最後には「何が正しいかわからない」と途方に暮れることになります。

このように、「本当かどうか」を求める姿勢は、どこまでも目に見える証拠を求め、真か偽か判断する、3次元的な物の見方です。

真偽の二分法ではなく、いくつかの可能性の中で自在に飛び回れる、より次元の高い物の見方ができなければ、いつまでたっても「本当かどうか?」はわからないのです。

真偽へのこだわりの根本は”不安”と”執着”

「本当ですか?」と尋ねる人が、真実にたどり着けない理由は、この人たちの心理からも読み解けます。

「本当ですか?」と尋ねる人の感情としては、不安や恐怖が背後にあると考えられます。その感情とは、以下のようにいくつかのパターンがありそうです。

  1. 目に見えないものが怖い→目に見える形で真偽を判断し、コントロールしたい。
  2. 嘘だったらどうしようという不安→”陰謀論だ”とバカにされたくない
  3. 正しい情報だけを手に入れたい→人より正しい情報を手に入れてマウントを取りたい

1.のように目に見えない=隠された真実を知りたいと思っているのに、目に見えないものを怖がる人は、真実にたどり着けません。そして不安を鎮めるために、真偽で白黒つけようとしても無意味です。

また2.については、真実は世間一般の見方とは全く逆のこともあります。そうした見方をする自分自身の軸がないために、結局”陰謀論”という言葉が頭を渦巻いてしまう人です。

以前に”陰謀論”と言う言葉を使う人は、不安に支配されている人だと記事に書きました。

3.もお互いのマウントを取り合うという、不安の世界で生きている人たちです。「俺は正しいことだけしか信じない」と、マウントを取っても、真実にはたどり着けません。

スピリチュアルの世界では、不安や恐怖に囚われた世界は、波動の低い世界であると言われています。こうした世界ではお互いの足を引っ張り合い、支配層に都合よく利用されてしまいます。

まさに今の世界が不安や恐怖の世界であり、そこに居続ける限り、真実には到達できないのです。

そして「本当かどうかにこだわる」という執着を持っている、という見方もできます。執着は苦しみを生み出すもとであり、不安や恐怖の感情は、執着から生み出されたものです。

このように、当人は「真か偽か」という客観的な議論をしているつもりでも、実は心の問題が背後にあります。心の問題を解決しなければ、真実は見えてくるはずもないのです。

「執着」については、こちらに詳しく書かれています。

苦しみをつかさどる執着 - 日本テーラワーダ仏教協会
経典の言葉 Dhammapada Capter XXIII NĀGA VAGGA 第23章 象の章 Sace labhetha nipakaṃ sahāyaṃ Saddh

不確かな情報への接し方とは?

「本当ですか?」と尋ねる行為は、かえって真実から遠ざかるような態度であることが分かりました。

しかし、情報の正しさが大切ではない、と言いたいのでもありません。むしろ不確かな情報に接する機会の方が圧倒的に多いでしょう。

それでは不確かな情報に接する時、どのようなことを意識すれば良いのでしょうか。

「真実にたどりつく」をゴールにしない

不確かな情報や、先が見えないことに対し、「本当かどうか」だけに執着すると、不安や恐怖に支配されてしまう、と書きました。

まずやってはいけないのは、「真実にたどりつくことをゴールにする」ことです。

そもそも私たちは、なぜ真実を知ろうとしているのでしょうか。真実を知ることだけを目指しているのでしょうか。

私は、自分自身を縛るものを取り去って、誰もが真に自由で穏やかに生きられる世界こそ、目指すものだと考えています。

自由な状態を邪魔しようとする存在がおり、そのために真実が隠され、都合の良いように支配されています。

まずはそういった存在による嘘を暴き、真実を明らかにします。その後に、平和な世界を目指そうと言う順番だと思っています。

ですので、真実にたどりつくのがゴールではなく、過程に過ぎません。目的を見失うと、全てがズレてしまうのです。

自らが目指す世界を思い描き、「世界線」をイメージする

「自分の軸を持つ」と言うことを述べましたが、まずは自分が目指したい世界をイメージする、ということが大事なのではないでしょうか。

自分が目指したい世界がイメージできれば、その世界に向かう道のりに、自分自身を置くことができます。この道のりを「世界線」などと呼んだりすることがあります。

「世界線」はただ1つの道があるのではありません。いくつもの分岐の可能性を持って、広がっています。

「正しいかどうか」と言う物の見方は、世界線がただ1つしかない考え方です。1つの道しかなければ、正しい道に向かわない情報は、切り捨てられてしまいます。

しかし、不確かなたくさんの情報は、様々な世界線の可能性を示すもの、という捉え方ができるのではないでしょうか。

真偽ではない物の見方では、自分の目指す世界に向けて、情報を軽やかに飛び移りながら、世界線を選んでいくようなイメージです。

そう考えれば、不確かな情報は切り捨てるのではなく、そのまま置いておけば良いのです。

いったん保留状態で情報を置いたままにし、自分の軸に照らし合わせながら、情報を吟味し、その意味を考えていくことになります。

一つひとつの情報の真偽に執着するのではなく、自分の目指したい世界に向けて、主体的に情報をつかんでいきたいものです。

執着を外すために、仲間と協力し合うこと

世界線の話をしましたが、これまでの1本道のイメージは3次元的な物の見方です。複数の世界線の中を自由に飛び回る発想は、5次元的な物の見方とも言えるでしょう。

これができるようになるためには、まずは3次元的な執着を外す作業が必要です

その1つには、今回指摘した「本当かどうか?」と言う執着を外すことが大切になってきます。しかし、執着を外すことは、なかなか自分一人では困難な道です。

なぜなら、それが自分にとって当たり前のことを、今から止める、というのは簡単ではないからです。

仏教でも、執着を外すためには、仲間が必要だと述べています。それは一緒に遊ぶような意味での仲間ではありません。

お互いが切磋琢磨し合い、自分を磨いてくれるような仲間のことです。

今、ありすママのチームでも、同じ志で真実に向かおうとしている人たちのコミュニティを作ろうとしています。

そのコミュニティの目的は、5次元的な思考をできるように、練習する場だと考えています。そこでは、お互いの悩みを語り合い、気づきを得ることが何より大切です。

そうやって、3次元的な考え方で生きている私たちの心を解放し、今より自由に生きることを目指したいものです。

まとめ

今回は、「本当ですか?」と尋ねる人の違和感から始まり、3次元・5次元の思考まで話を広げてみました。

本当かどうか、という考え方は、私たちが生きている3次元的な世界では、ごく当たり前の姿勢に思えます。しかし、真実にたどり着こうとしている人は、やってはいけない思考です。

それ自体が執着であり、自身の苦しみを生み出していることを、まずは自覚しましょう。

そして真偽と言う1本のルートではなく、複数のルートで構成された世界をイメージしてみてください。そうすると、情報の見え方も大きく変わってくるのではないでしょうか。

ありすママチームのお話し会では、こうした新世界に向けた心の在り方の話もしています。ぜひお話し会がある時には、ご参加いただけると嬉しいです。

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