この世界で”実体”のあるものとは何でしょうか?逆に実体のないものとは何でしょうか?
私たち自身や暮らしている社会には実体があり、たとえば空想や精神世界、魂と言ったものには実体がない、と考えるのがごく一般的(3次元世界)の考え方かもしれません。
しかし、先日はブログ記事で3次元世界が”幻想”によって支配されている、ということを書きました。
その中で、私たちが生きている社会(国や制度)とは実体のない”幻想”であると書きました。
それでは”実体”のあるものとは、いったい何なのでしょうか?今回は”実体と幻想”をテーマに、本当に実体のあるもの、実は幻想であるもの、について書いていきます。
※内容的には、先ほどの3次元世界における”幻想”の記事の続編・補足になります。
”実体”と”幻想”の真実
私たちは3次元世界に生きているために、”実体”と”幻想”がそれぞれ何であるのか、間違った捉え方をしてしまっているかもしれません。
筆者なりに、”実体”と”幻想”の真実とは何か?について考えてみました。意外にもシンプルな答えがそこにはあります。
”実体”=自然界にあるもの
まずは”実体”と聞いてイメージするのは、「形あるもの」だと思います。ただし、”実体”があるのは必ずしも「形あるもの」だけとは限りません。
結論から言えば、”実体”とは自然界に存在するものである、と筆者は考えます。
たとえば「チューリップ」のお花は、人間が作り出したものではなく、もともと自然にあったものです。人間はそれ自体を生み出すことはできません。
このように自然界にしか生み出せないものこそ、”実体”ではないでしょうか。
でも人間にも実体あるものは生み出せるじゃないか?と思う人もいるかもしれません。たとえば、「カレーライス」は自然界にはありませんが、実体はありそうです。
確かに「カレーライス」を構成する材料には実体がありますが、そのレシピや「カレーライス」と言う概念は自然界にあったものではありません。
こう考えると、人間には、自然界にある”実体”あるものを組み合わせて、新たな実体のあるものを作り出すことは可能のようです。
チューリップの例では、品種改良をして、違う品種を作り出すことはできるかもしれません。しかし0からチューリップと言う存在を生み出すことは、人間にはできないのです。
言い換えれば、”実体”とは人間が0から生み出すことはできない、自然界にある存在ではないか、と考えます。
そして人間自らが”実体”を生み出すことはほとんどできません。思いつくのは、生まれ死ぬという事実、そして出産という行為ぐらいではないでしょうか。
こうして考えてみると、”実体”あるもの=自然界にあるもの=真理であると言えるのかもしれません。
真理であるからこそ、実体として揺らぐことがないのであり、それを生み出しているのが自然界に思えます。
”幻想”は人間が考え出したもの、概念
その一方で、”幻想”とは”実体”のないものであり、それは人間が頭の中で作り出したもののことを指します。
先ほどのチューリップの例では、「チューリップ」というラベルは、”幻想”に過ぎません。なぜなら人間が勝手につけた名前であり、「パペポぺ」という名前をつけても一向にかまわないからです。
自然界ではチューリップが「チューリップ」と言う名前でなくても、存在できます。しかし人間の頭の中で、チューリップにいくつも名前があったら、それをチューリップと特定できないのです。
このように人間が特定のものを、他者と共有するためには”幻想”は必要なものだったのです。つまり人間が社会を形成する上では、”幻想”を実体化させることが必要でした。
しかし”幻想”はいかようにも作り出せる上、書き換えることも可能です。この性質は、3次元世界の支配に都合良く利用されてきました。
それはこちらの記事に詳しく書いた通り、支配層に都合の良い”幻想”を押し付けてきたのです。
その最たる例が、以下のような”幻想”です。
- 国家
- 法律
- お金
- 科学
もともとこれらは存在しないはずのもので、人間が作り出した概念=幻想です。これらがまるで実体があるかのように錯覚させられているのが、3次元の世界です。
目に見えないもの=幻想?
3次元の世界では、目に見えないものを実体化した”幻想”は信じているのに、本当に目に見えないものは信じられないようです。
たとえば”スピリチュアル”の領域こそ、幻想だと思っている人がいるかもしれません。しかしその中で、”真理”を説いているものには実体がある、と筆者は考えます。
それは先ほど実体のあるもの=自然界にあるもの=真理、と述べた通りです。
たとえば仏教が説く因果の道理は、人間だけでなく、あらゆる事象すべてに当てはまる法則性であると言われています。
※悩みの”原因探し”は心の問題を解決しない? – 仏教における因果の道理を学ぶ
3次元世界ではそれを証明することはできないために、まるで”幻想”かのように扱われています。しかし自然界はこの法則性で動いており、こちらの方が実体があるのです。
コロナ騒動と幻想、おとぎ話の世界
さて、”実体”のない”幻想”は、「おとぎ話」と言った方が良いのかもしれません。自然界と言う広大な世界の中で、3次元世界の人々は「おとぎ話」の世界に住んでいると言えます。
しかし3次元世界の人々は、「おとぎ話」の中で生きている時間が長いため、”幻想”の方が実体あるものと錯覚してしまっています。
そんな「おとぎ話」が加速してしまった最たる例が、現在の”コロナ禍”と言われる状況です。
あまりに頓珍漢なコロナ対策は、これまで「おとぎ話」を信じてきた人たちですら、不可解に思えるために、声を上げる人たちが増えました。
しかし「マスクではウイルスは防げない」などとエビデンスで戦う姿勢は、まだ科学と言う「おとぎ話」の世界から抜け出していないのです。
言い争う必要もなく、コロナの「おとぎ話」の世界からに脱出すればコロナ騒動は”めでたしめでたし”とおしまいになるだけです。
それでも3次元世界で生きていると、真面目に感染対策を行っている人に出会ってうんざりするかもしれません。
例えばマスクをしないで飲食店に入って、「マスクをしてください」と言われたことはないでしょうか?
「食べる時、外すのに?」と聞いても、「入る時はしてください」と、まったく意味不明なことを言ってきます。
しかしこれも「おとぎ話」だと思えば、おかしくなってきませんか?
「むかしむかしあるところに、全員がマスクをして過ごす不思議な村があったそうな。その村では、物を食べる時以外は、絶対にマスクをしていないといけなかった。 『ここを通る時はマスクをしてください』 料理屋では、入り口ではマスクをして、席についてマスクを外す。食べ終わると、またマスクをして外に出るのだという。 しかしその村では、なぜマスクをしないといけないのか、誰も答えられなかったそうな。 おしまい。」
いかがでしょうか。コロナ騒動はおとぎ話の世界ですので、議論したって仕方ありません。
”幻想”とは気づいて(目覚めて)しまえば、それで終わりなのです。
まとめ – 「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」
今回は実体と幻想について、どのように考えたらよいのか、について書きました。
まとめると、以下のようになります。
- 実体=自然界にあるもの=真理
- 幻想=人間が作り出した概念
とてもシンプルな答えですが、実体と幻想は3次元世界では混然一体となって存在しています。真実を見抜く目を持たないと、幻想のおとぎ話の世界に閉じ込められてしまうのです。
最後に、そうした3次元世界について言い当てた言葉を紹介しましょう。
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」 江戸川乱歩
『怪人二十面相』などで有名な、推理小説・怪奇小説家の江戸川乱歩の言葉です。
上記のリンクには、「人が現実と思い込んでいるのは夢であり、夜にみる夢の方が本物かもしれない」と解説していますが、解釈するとしっくり来ないとも書かれています。
本当は3次元世界の”幻想”と、5次元世界の”実体”について述べた言葉ではないか、と筆者は考えます。
つまり「うつし世はゆめ」とは、3次元世界が”幻想”に支配された、おとぎ話の世界であることを指摘しています。
一方で夜の夢とは、科学ではいまだ証明されない領域ですが、異次元の世界と繋がっている瞬間であるとも言われています。
5次元の視点から考えれば、実はこうした夢の世界こそ、”実体”がある真理の世界なのではないか、ということです。
江戸川乱歩氏は、見事に”目覚めていた”作家だったのではないか、とこの言葉から感じました。
真実を知りたい、と思うのであれば、まず実体と幻想について自覚的であることが必要ではないか、と思います。
3次元世界では認識できることに限界があるため、実体と幻想がごちゃごちゃになってしまっています。一方で5次元世界は実体・真実こそすべての世界です。
3次元世界のおとぎ話・夢の世界から”目覚め”、真実の世界にまいりましょう。
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