最近興味を持っていることとして、”真実”とは何なのか、そして情報をどのように捉えれば良いのか、というテーマがあります。
真実に迫ろうとすると、すぐに”陰謀論だ”と言う声が聞こえてきますが、陰謀論か否かというような単純に分けられない、グレーな情報の読み解き方こそ、今求められているように感じます。
前回から「”陰謀論に騙されない”のではなく”グレーな情報と上手に付き合う”ために」と言うタイトルで書いている記事の2回目が今回です。
前回は陰謀論と言う言葉が、それを叩く側が使うものだとしました。また真実を隠したい側が隠れ蓑として都合よく利用している点も指摘しました。
※”陰謀論に騙されない”のではなく”グレーな情報と上手に付き合う”ために① – コロナ騒動から陰謀論叩きの誤解まで
”陰謀論”という言葉は叩く側・真実を隠したい側が使うものでしたが、グレーな情報の中には確かにあまり触れない方が良い情報もあるように思えます。
今回は、私たちが真実に向かうために、グレーな情報の中で触れるべきではない情報とは何なのか、について考えます。その指針として、心について説いてくれる仏教を参考にしたいと思います。
仏教からグレーな情報との付き合い方を考える
真実を求めたい私たちとしては、どうしても日々グレーな情報と向き合わなければなりません。
ついつい「その情報は本当なのか嘘なのか」といった真偽の視点から情報を吟味しがちです。しかし真偽は最後まで分らない情報もありますし、真偽にこだわること自体が不安を呼び込んでしまいます。
情報との付き合い方において、真実を探求することも大切ですが、心が穏やかであることもまた同じくらい大事だと考えます。
そこで今回は、情報との向き合い方を心の問題と捉え、仏教の観点から論じてみようと思った訳です。
触れるべきではない”悪縁”としての陰謀論
前回の記事では”陰謀論”という言葉が、そもそもそれを叩く側の用いる言葉であることを述べました。
しかし真実を探求する中では、これこそ陰謀論と呼べるのではないか?というタイプの情報も出てきます。
これこそ陰謀論ではないか、と筆者が思う情報は、仏教で言うところの”悪縁”になるものと考えます。
仏教の最も大切な考え方に、縁というものがあります。
仏教では自分自身に起きる出来事は、すべて自分に原因があるという因果の法則で世界が成り立っていると考えます。そしてその因果に良くも悪くも影響を及ぼすものが、縁です。
中でも悪い方向に作用する縁が悪縁です。私たちが受け取る情報のうち、悪縁となるものはどのようなものなのでしょう。
筆者の考えでは、私たちの心を不安に貶めるような情報のことだと思います。
誰しも不安な気持ちになる種を心に持っています。人間の心は移ろいやすく、幸せな気持ちでいても、ちょっと嫌なことがあればすぐにそれに引っ張られてしまいます。
その性質を利用し、人々を意図的に不安な気持ちに仕向けようとする情報こそ、真の意味で陰謀論なのではないか、と思います。
例えば、不安を喚起させるため、以下のようなことが言われている情報には要注意です。
- 一部に嘘や誇大な表現が紛れ込んでいること
- これから先が絶望的な未来になることを予言するもの
後者の絶望的な未来になることを予言するもの、は非常によく見るパターンです。
7月10日の参院選の結果を受け、「日本は終わった」というSNSの投稿が一気に増えました。これも、まだ起きてもいない未来を絶望的に語るもので、触れても良い結果に繋がる気が全くしません。
真実に間違いなく向かっていれば、不安などが起きるものではなく(また享楽的な喜びでもなく)、感情的にはニュートラルな情報のはずです。
一方で、ただ人を不安がらせるために作られた考えは、私たちを不安や恐怖に誘導させます。
そしてこうした悪意は、決して分かりやすい形では見えてこないことも多いものです。少しの嘘が混じっている情報は、かえって本当らしく見えることもあるでしょう。
こうした悪意に気づかないうちに、それに加担して情報を拡散してしまっている人も多いように思われます。
その情報が本当に人々の安心に繋がるのか、ただ興味本位で情報を拡散するのではなく、心の安寧と言う観点でも、真実を伝える姿勢を持ちたいものです。
グレーな情報との付き合い方には自分軸こそ重要
不安を喚起させるような情報には極力触れない、と言うことを述べました。では希望を持てる情報にさえ触れていれば良いのでしょうか?
例えばこんな話を聴いたことがあります。GESARA法がもうすぐ起きる、という言葉をあてにして、借金を作りまくった人がいました。
しかし一向に借金が帳消しになることがなく、破産してしまって、どうしてくれるのだ、と怒っている人がいたのだと言います。
このような人が”陰謀論に騙された”と立場をかえて、真実を発信している人を攻撃するようになることもあるようです。
この人は明るい未来がやって来る情報に触れていたのに、なぜ怒りに満ちて攻撃を始めてしまったのでしょうか?
それはたとえ良い情報であっても、常にその人の受け止め方次第、という考え方が重要になってくるからです。
仏教ではこれを自業自得と言います。慣用句としても使いますが、自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければならない、という因果の法則を説いた言葉です。
ここで挙げた例の人は、おそらく「少しでも楽をしてお金を手に入れたい」という欲望が心にあった人だったのでしょう。
GESARA法の発動が近いと信じて、「GESARAが来るから何をしても大丈夫」と思って借金をたくさんしたのです。
自分の欲のために動けば、その報いを受けるというのが自業自得です。
一方でGESARA法の発動に向けて、何をして過ごそうか考えた人は、今のうちから自分の楽しいと思うことにワクワクしながら過ごすことができます。
同じようにGESARA法の情報を聞いた人でも、自分の捉え方次第で全く違った行動を取るのです。
結局のところ、悪意のある情報でなくとも、それが良縁となるか悪縁となるかは、その人次第という側面があります。
たとえ真実の情報であっても、それを「陰謀論だ」と言っている人は、その人自身の心のあり方に問題があると言えるでしょう。
そして縁である情報を「陰謀論だ」と、縁に原因を求めるのは因果の道理を知らない無知な人の行いです。原因は常に自分の中にあり、自分の心のあり方を正さねば良い情報には触れられません。
よく「自分軸が大切」という言葉を聞きますが、仏教の考え方にもとづいて考えても、その通りだと言えます。
自分軸を持つためにも、真実を求めた先にどうなりたいのか、という自分を持つことが大切に思えます。
真実が明かされた世界、そして心が豊かな世界で何がしたいのか、まずは思いを巡らしてみるのが良いでしょう。
まとめ – 真実は”泥中にこそ咲く花”
今回は陰謀論という言葉から離れ、グレーな情報とどのように付き合うのか、という点について仏教の視点も交えて書いてきました。
できるだけ不安や恐怖を煽られるような情報に触れないようにすること、そしてどんな情報に接するとしても自分がどうなりたいのか、と言う軸が大切であることを述べました。
このブログで何度も書いている通り、真実を追求するにあたっても、その心構えこそ重要であると感じています。
どんな情報に触れ、そこから何を受け取るのか、と言うことは、心の問題が大きく関わっているのです。
さて、最後にどんなに情報を吟味して探していても、時にフェイクを掴んでしまうこともあるものです。そしてフェイクを誰かに伝えてしまうこともどうしても起きてしまいます。
正しい情報だけ伝えられればそれが良いのでしょうが、そんなことができる人は誰一人いません。
そして嘘をついてしまえば、仏教ではそれは罪となります。その罪は自業自得として、何らかの報いを受けることになります。
しかし考えてみれば、今の世界は嘘だらけの世界であり、本当のことを探す方が難しいくらいです。それだけ悪縁に満ちた世界の中に私たちは生きていることになります。
その中で真実を掴もうとする姿勢は、仏教でいうところの「泥中に咲く蓮」のようなものだと思っています。
美しく大きな蓮は、ドロドロの汚れた水でこそ咲くことから、煩悩にまみれた環境の中でも清らかな心を保つ人のことを指す言葉です。
私たちは嘘ばかりの情報の荒波をかき分け、真実を掴もうとしているのだと思います。
そして真実はそういった嘘だらけの中に入ってしか見つけられないとも言えるでしょう。嘘の情報も掴み、フェイクだと罵倒されても、真実を求め続ける純粋な姿勢こそ必要なのではないでしょうか。
私達一人ひとりが自分の軸をもって真実を求め続ける心が、私達の周りの環境を変えていくのではないかと信じています。
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