事実と真実と真理の違いについて – ”言語”によって作られる幻想から実体の世界へ

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心・心理学

このブログでは、”事実”と”真実”の違いについて、何度か取り上げてきました。似ていながら、意味するところは重なりつつも、違う部分も大きい言葉です。

今回はここに”真理”を加えて、次元の捉え方を交えて考えてみたいと思います。

真理を加えることで見えてくるのは、事実と真実の世界では言語を用いた世界でしたが、真理の世界は言語の要らない世界が広がってきます。

実は言語を用いた世界が幻想、言語に依らない世界こそが実体です。

既にこの時点でお分かりの通り、今回の内容は難しいです。さらに次元の感覚を磨いていきたい人のための、思考のお供にお読みいただければ嬉しいです。

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事実・真実・真理の違いを理解する

さっそく事実・真実・真理の違いについて、以下の表にまとめてみました。

用語一般的な定義存在する場所存在する時間伝達方法
事実実際にあった事柄。現実にある事柄。自分の外過去・現在言語のみ
真実うそでないこと。偽りでないこと。自分の中過去~未来感覚を言語を介して
真理ほんとうのこと。まことの道理。どこにも存在する時間は存在しない感覚のみ

まずは「一般的な定義」を見ても、なかなかその違いを説明するのが難しいことが分かります。いずれも「嘘ではない」「本当のこと」を意味する用語ですが、定義にすると似たような内容になります。

そのため、筆者が独自に加えた「存在する場所」「存在する時間」「伝達方法」から説明します。事実・真実・真理の違いを理解するには、この3つの要素の違いから考えられます。

まず「存在する場所」ですが、自分の外にあるか中にあるか、によって事実と真実に分けられます。そして自分をも超越したところに存在するのが真理です。

そして「存在する時間」については、過去・現在のみが事実、未来まで含むのが真実であり、やはり時間を超越したところに存在するのが真理です。

最後に「伝達方法」は、事実と真実は言語を用いて伝えられますが、真実では感覚も重要になります。真理になると言語での伝達方法は不可能になります。

このように見ていくと、事実・真実・真理の順に、場所・時間・言語に縛られなくなることが分かります。

私たちの頭の認識方法は、場所・時間に縛られ、言語で表現されるものの方が明確のように思えます。しかし何かに縛られるほどに、伝えられる情報量は少なくなります。

さらに言語を用いることにより、言語で表現できないものが抜け落ちて行ってしまいます。また言語を用いると、その解釈をめぐって見解の相違が起き、伝えたいものが伝わらないこともあります。

そう考えると、実は事実・真実・真理へと進むほどに、私たちの認識とは異なり、普遍的で明確なものであるのではないか、と私は考えます。

ここからは「事実と真実」「真実と真理」の2つに分けて、より具体的に違いを説明していきます。

事実と真実:過去の情報から未来の可能性へ

まず「事実と真実」については、既にこのブログでは違いを説明してきました。ですので、補足的な内容をここでは説明します。

事実と真実、いずれにも共通するのは、伝達のあり方が「情報」と言う形をひとまず取る、というところです。別の言い方をすれば、言語で説明される内容、と言うことになります。

ここが共通するために、よく事実と真実が混同されて理解されてしまいます。事実と真実の決定的な違いは、それが存在する場所の違いです。

事実は自分の外側に存在します。自分の外側にある、ということは、西洋科学的な捉え方をすれば、”客観的に”存在する事象、ということになります。

さらに言えば、誰しもが確認・認識できる形での情報ということになり、多くは言語で書き記された形で記録されるものです。

一方で真実は自分の中に存在するものです。真実とは、その人が語ることによって成り立つものであり、客観的に存在するものではありません。

つまりもともと言語として記録されたものではなく、言語として表出するから、言語になり得るだけなのです。

真実は時空を飛び越えるものであり、それゆえ過去~未来までいずれの時点でも存在しうるものです。しかし事実は私たち人間が生きてきた過去~現在までの中でしか存在しえません。

さらに事実は書き残しているから証拠になる、というのは幻想に過ぎません。そういうルール=幻想を決めるから証拠になるのであって、書き換えることは簡単にできます。

それゆえ、過去の歴史は書き換えられてきました。事実は簡単に偽装できますし、それを使って支配や洗脳を行えるものなのです。

しかし真実は自分の中にあるため、外から書き換えることはできません。このように時空間を飛び越えて考えてみると、事実と真実の違いが見えてきます。

”事実”と”真実”の違いについて図解してみよう – 真実を発信するとはどういうことか?

真実と真理:時空間を飛び越えて普遍性へ

真実が時空を飛び越えたものであると述べましたが、それでも形としては「情報」として、言語を用いても表現できるものである、と説明しました。

それに対して、真理とはさらに普遍性の高いものである、と考えることができます。

まず情報のような言語を通じて表現されるものではありません。感覚的なものであり、その伝達方法は、何かしらの作法や手続きによって、伝達されるものです。

また真実も時空間を飛び越えていますが、あくまで私たちの認識できる時間(過去・現在・未来)や具体的な場所から解放されたものでした。

しかし真理とは、時間や場所そのものが存在しないとしても、確かに存在していると感じることができるもの、であるはずです。

こうなってくると、私たちの認識方法では到達できない領域のようにも思われます。しかし真理を私たちは感じ取ることができるのです。

その最たる例として、芸術があります。芸術は普遍的な「」という真理を伝えるために、様々な方法を用いて表現をする営みです。

私たちは絵画や音楽などを鑑賞して「美しい」「心惹かれる」などの感覚を持つことと思います。その感覚について、一生懸命説明しようとしても、言葉ではうまく言い表せないものです。

しかし芸術はその言葉では表せない感覚を表現することができます。それが普遍的に存在する、美と言う真理です。

美は私たちの中にも外にもあり、人間だけにある訳でもなく、時間や空間を超越して、どこまでも無限に広がっている感覚に思えます。

そうした広大なものと繋がった感覚は、私たちの認識を大きく超えていますが、事実や真実と比べても、より普遍的で確かに存在すると言う実感のあるものではないでしょうか。

言語と言う幻想を用いず、またある時点・場所に縛られることもなく、常にどこでも存在する、という普遍性を有するものこそ、真理と言って良いでしょう。

まとめ

今回はこれまで考えてきた事実と真実の違いに加え、真理も加えて説明してみました。

私がなぜこの話題にこだわるのか、と言えば、私たちが認識できていることは非常に限られた範囲でしかない、ということを自覚したいからです。

私たちは日々様々な情報にさらされ、その真偽をめぐって議論が巻き起こっています。しかし俯瞰して見れば、事実の世界の外側には真実、そして真理の世界が無限に広がっています。

そして私たちの認識できていない範囲にこそ、5次元以上の高次元の世界が広がっている、と言えるでしょう。

こうした高次元の領域に存在する真実や真理を知ることこそ、真の”目覚め”であると感じます。そして真実を感じるようになると、事実に関する嘘を見抜くこともできるようになるでしょう。

私たちの意識を狭い事実=3次元の世界から、真実や真理の世界=5次元以上へと広げていきたいものです。

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