映画『ゴジラ-1.0』に見る”ゴジラ映画”の魅力とは? – バランス感覚と日本人らしいメッセージ性

スポンサーリンク

ゴジラシリーズ第37作目、ゴジラ70周年記念作品として、『ゴジラ-1.0』が2023年11月3日より公開されました。

「公開8日間で観客動員100万人、興行収入16億円を突破した」とのニュースもあり、前作『シン・ゴジラ』を上回る好スタートを切っているようです。(映画.comより)

筆者も映画館に足を運んで観てきました。本作の魅力として、奇をてらわず、”ゴジラ映画”シリーズには欠かせない要素をきちんと押さえている点が挙げられると感じられました。

今回の記事では、『ゴジラ-1.0』に見る”ゴジラ映画”の魅力とは何か?について語りながら、『ゴジラ-1.0』のレビューも行っていきたいと思います。

※映画のネタバレを一部含みますので、映画『ゴジラ-1.0』をこれから鑑賞する方はご注意ください。

スポンサーリンク

映画『ゴジラ-1.0』とは?

まずは『ゴジラ-1.0』の概要について紹介しておきましょう。

<予告動画>

  • 出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介ほか
  • 監督・脚本・VFX:山崎貴
  • 音楽:佐藤直紀
  • 制作プロダクション:TOHOスタジオ、ROBOT
  • 配給:東宝
映画『ゴジラ-1.0』公式サイト
2023年11月3日(金・祝)公開 監督・脚本・VFX:山崎貴

映画『ゴジラ-1.0』はゴジラシリーズ第37作目(実写作品では30作目)、ゴジラ70周年記念作品として、2023年11月3日より劇場公開されました。

前作『シン・ゴジラ』より7年ぶりとなる、国内での実写ゴジラ作品となりました。

本作は公式サイトのイントロダクションでは「焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。」と書かれています。

物語の舞台となるのは、第二次世界大戦後まもない日本・東京の街であり、ゴジラシリーズ第1作『ゴジラ』(1954)よりも前の時代にゴジラが登場したら?という設定となっています。

戦後復興もまだままならない東京の街がゴジラによって負(マイナス)に叩き落とされる、という絶望的で恐怖の対象としてゴジラが描かれます。

監督を務めるのが、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)などで、高度なCGにより昭和の街並みを再現するVFXの第一人者である山崎貴氏です。

ゴジラに立ち向かう人々のストーリーとともに、VFXで再現された戦後日本の風景と、それを破壊するゴジラの迫力も本作の見どころの1つとなっています。

※以下、映画のネタバレを含むのでご注意ください。

映画『ゴジラ-1.0』に見たゴジラ映画の魅力

好評を博している映画『ゴジラ-1.0』、映画としての出来の良さはもちろんながら、長年ゴジラ映画シリーズを見てきた人(筆者含む)にとっても魅力的な作品に感じられたのではないでしょうか。

その理由は、歴代のゴジラ映画シリーズが大切にしてきた、”ゴジラ映画”としての魅力がたくさん込められた作品になっていたことが挙げられます。

つまり、ゴジラ映画としての王道をしっかり守った作品になっていた、と言えるでしょう。

『ゴジラ-1.0』を鑑賞して改めて感じた、”ゴジラ映画”の魅力とは何か、について4点にまとめて書いてみました。その中で『ゴジラ-1.0』のレビューも含めて書いています。

ゴジラの見た目がかっこいい

まず最も大切なことは、シンプルにゴジラがかっこいい、ということが重要な要素です。

それはゴジラの出で立ちはもちろんのことながら、動き方、放射熱線の出し方、さらには登場の仕方の演出も含め、いかにかっこよく見せるか、というビジュアル面は大切です。

今回のゴジラは体長50.1m、体重は2万トンと、初代ゴジラを踏襲したような設定になっています。ただ体格としては平成ゴジラシリーズに近いような、どっしりとした体つきをしています。

印象としては、これまでのゴジラの姿をイメージしつつ、令和バージョンとしてアップデートしたようなスタイルに見えました。全く新しいものを、と言うよりはこれまでのゴジラへの愛が感じられます。

そして映画序盤から惜しみなくゴジラの登場シーンがありました。深海魚が浮いてくる不気味なシーンから、海中から登場するゴジラの迫力に圧倒されました。

また放射熱線を発する場面では背びれが巨大化し、青く光り、恐ろしいことが起きる描き方も、ゴジラを恐怖の対象として描くことに成功しています。

とにかく見た目にゴジラの立ち姿、動く姿がかっこいいと言うことは大切です。

ただ前作『シン・ゴジラ』から、スーツアクターがスーツを着て特撮を行う、というスタイルをやめ、CGを用いたゴジラの描写になっています。(人間の動きを取り入れてはいるようですが)

どうしてもCG主体のゴジラには、感情移入できる要素が少ないのは少し残念です。ゴジラ映画の魅力として、ゴジラを人が演じているがゆえに、ゴジラに感情移入できる、というものがありました。

怪獣に感情移入できる、というのも不思議なことですが、まるでゴジラは感情を持つ人間のような存在として、時に映画の中では感情移入できたのがゴジラシリーズの魅力でした。

『シン・ゴジラ』以降、”得体の知れない生物”という描き方がなされており、本作もその点は踏襲されていたように思います。

その点で1954年・1984年のゴジラなどとは違った印象があります。ゴジラが背中で語る哀愁、のような感覚は、本作では感じられなかったのが、ファンとしては少し残念なところです。

ゴジラが主人公という映画のバランス

続いて、ゴジラ映画であると言うことは、ゴジラが主役の映画である、ということが重要なポイントです。

しかしこのポイントを押さえて1作の映画にまとめ上げる、というのはなかなか難しいようです。当然ながら、ゴジラにはセリフがなく、ただ街を破壊して去っていくだけの存在です。

物語を進行させるのは人間のドラマとなるのですが、人間側のストーリーを充実させすぎるとゴジラの存在感が弱くなってしまいます。

しかしゴジラを目立たせようとすれば、ドラマの描き込みが不十分になり、子ども向けのヒーローゴジラ的な作品になって、映画としてのクオリティが下がってしまうのです。

たとえば前作『シン・ゴジラ』は、映画作品としては面白い作品なのですが、人間ドラマ部分の存在感が大きすぎて、ゴジラが登場する必然性が薄れてしまっていた感があります。

つまり、ゴジラである必要がなく、日本に正体不明の生物が現れたら?というパニック映画で良かった訳です。ゴジラである必然性を描くには、ゴジラ自体を魅力的に描く必要があります。

本作『ゴジラ-1.0』は人間ドラマが中心に置かれながらも、ゴジラの存在感もしっかりとある、と言うバランスが絶妙でした。

本作ではゴジラ登場シーンの見せ場を、大戸島・東京・相模湾の3つに配置し、その合間に人間ドラマを進行させる、というシンプルな構成でした。

ゴジラが暴れるシーンには、過去のゴジラ作品へのオマージュがあり、ゴジラというキャラクターの持ち味が存分に活かされていました。

たとえば東京の街を破壊するシーンでは、電車を加えて持ち上げる場面があり、初代ゴジラのオマージュと言えるもので、ゴジラ愛が随所に感じられます。

人間ドラマの中心は、特攻隊員の敷島が戦争で生き残ってしまったサバイバーズ・ギルト、そしてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱え、それを乗り越える物語として1本の筋が通っています。

あまり細かな伏線をたくさん用意はせず、シンプルなストーリーを役者さんの力量で味わい深いものにすることに成功しているように思えました。

本作のバランス感覚は、監督・脚本・VFXのすべてを山崎氏が行っていた点による部分もあるでしょう。

これまでゴジラ映画では、本編の監督と特技監督(特撮部分の監督)の2班体制が取られてきました。それが成功した作品もあれば、バランスが取れずに、ちぐはぐだった作品もあります。

今回は特撮部分も本編部分にも、山崎氏の意図やこだわりが込められたことで、シンプルにまとめ上げられたのかもしれません。

ただ欲を言えば、ゴジラが悲しい存在であるという設定について、もう少し描いてほしかった部分があります。1954年・1984年いずれにおいても、ゴジラの存在理由自体の悲しさが描かれました。

本作ではゴジラに敷島の乗った戦闘機が口の中に激突し、ゴジラが破壊されていくシーンで、作戦に参加した全員が敬礼する場面がありました。

ここが実はゴジラという悲しい存在への経緯として描かれていたようですが、何に対する敬礼だったのか議論が起きてしまっていたようで、少々分かりにくい場面に見えました。

恐怖の対象でありながら悲しい存在であるゴジラ、という絶妙な匙加減の描き方は難しさが伴うものだ、とつくづく実感します。

あり得ないことが起きる特撮映画

ゴジラ登場部分、人間ドラマ部分に通じて言えることですが、あまり設定のディティールにこだわり過ぎると、面白さが薄れてしまう、という問題があります。

ゴジラと言う怪獣が突如現れる時点で、現実にはあり得ないことが起きる時点で、”あり得ないことが起きる特撮映画”であるという開き直りが、ゴジラ映画を面白くします。

ゴジラがなぜ大戸島や東京に現れ、整備帯はほぼ全滅させられて敷島の乗ったジェットは無事なのか、典子はなぜゴジラに加えられた電車に残り、放射熱線の爆風で生き延びたのか、など謎は多いです。

しかしこれら1つずつにストーリーの中で答えるのが映画と言う訳でもありません。謎は謎めいたまま終わる、通常の人間ドラマでは起こりえないことが起きる、というのも特撮映画の面白さです。

以下の記事でも、設定の甘さなどが目立つものの、「こういうのがいいんだよ」と言わしめる特撮映画ならではの面白さがあったのではないか、と思われます。

映画「ゴジラ-1.0」見た漫画家が「こういうのでいいんだよ」とつぶやいた理由
3日に公開したゴジラシリーズの最新映画「ゴジラ-1.0」。公開3日で64万8000人を動員し、興行収入10億4100万円...

ラストは敷島が特攻のごとく戦闘機でゴジラに突っ込むも、間一髪で脱出して生き延び、さらには死んだと思っていた典子が病院で生きていたことが分かり、映画が終了します。

人間ドラマ的にはハッピーエンドと言う形で、後味の悪さはなさそうに見えますが、映画を観た誰しもがあの爆風で確実に典子は死んだと思ったのが、なぜ生きていた?と謎が確かに残ります。

そして典子の首筋には、はっきりと見えないものの黒い傷跡のようなものが映し出されます。そして完全に死んだと思ったゴジラの身体の一部が再生していく様子で映画が終わります。

ゴジラの細胞が驚異的な再生能力であることは過去の映画でも描かれ、映画のラストでゴジラは実は生きている、というオチは何度も繰り返し用いられてきました。

しかしそのシーンの直前に典子の身体にあった不思議な傷、これがG細胞(ゴジラ細胞)の侵食があったのでは?と言う考察が有力なようです。

ラストに賛否両論? 『ゴジラ-1.0』で議論を呼んだ“6つのポイント”を徹底考察【ネタバレあり】
絶賛に次ぐ絶賛が寄せられている公開中の映画『ゴジラ-1.0(ゴジラ マイナスワン)』、議論を呼んだ6つのポイントについて...

本来であれば爆風により死に至るダメージを受けたはずが、G細胞の影響で再生能力を得てしまった可能性があります。

敷島に「あなたの戦争は終わりましたか?」と問いかけるシーンは、主人公敷島の戦争がようやく終わった安堵の場面のようにも一見感じられます。

しかし実は生きているゴジラや、典子以外にもG細胞の影響を受けてしまった人たちの後遺症問題などが終わらないままになっていることを暗示しています。

「戦闘が終わったこと=戦争の終わり」ではないことのメッセージを伝えているようにも思えるシーンです。

このようにあり得ないことが起きる映画ではあったのですが、あり得ないなりの結末も考えさせられるものがあり、興味深い点でした。

日本人の心に届くメッセージ性

ゴジラ映画は、常にその時代の日本(あるいは世界)に対するメッセージを発してきた映画でもありました。

今回の『ゴジラ-1.0』も明確なメッセージ性を感じる映画になっていました。

物語は自らの心の中で”終わっていない戦争”を終わらせようという敷島を中心に進みますが、それとともに戦争・ゴジラへの対応に関する国家への痛烈な批判が込められていました。

「情報統制はお家芸」「貧乏くじを誰かが引かなければならない」など、明確なセリフとして、国による情報統制や民間人にしわ寄せがくることへの批判が述べられています。

元海軍の軍人たちがゴジラ退治の作戦の従事する姿が”美談”のように描かれることへの違和感を感じた人もいるようですが、民間人への温かいまなざしを描きたかったようにも思えます。

つまり、国がどんなに私たちを縛り付けようと、私たち自身が前向きに生きていくことには変わりがない、というメッセージだと感じました。

そのメッセージは、特攻を覚悟した敷島に、整備士の橘が「生きろ」と脱出装置について説明するシーンにも表れているように思いました。

国家による統制は、特攻と言う”死して戦争を終わらせる”という”物語”としても私たちの心に入り込んできます。しかしそんな幻想を突破し、私たちは生きるのだ、というメッセージです。

ここには国家に対する権力への反抗と言う西洋的な価値観ではなく、私たちで国を守るというような日本人的な価値観が表れているように感じました。

もう1点メッセージとして感じられたのは、既に書いた通り、この映画のストーリーは終わっても、”戦後”が残っている、というものです。

先ほども述べた通り、敷島の”戦争”は終わったとしても、G細胞に浸食されたかもしれない人たち(典子含む)の問題や、ゴジラはまた復活するかもしれない、など実は物語は終わっていないのです。

有事が終わったとしても、その”後始末”やしわ寄せは民間に降りてきます。ゴジラが去った後については描かれていないものの、考えさせられるメッセージとして残ったように感じました。

まとめ

今回は映画『ゴジラ-1.0』を通して、ゴジラ映画における魅力について書きました。ゴジラ映画としての魅力として、取り上げたポイントは以下の4点でした。

  • ゴジラの見た目がかっこいい
  • ゴジラが主人公という映画のバランス
  • あり得ないことが起きる特撮映画
  • 日本人の心に届くメッセージ性

『ゴジラ-1.0』では、人間ドラマを中心としながらもゴジラの存在感、見た目のかっこよさから、しっかりゴジラが主役の映画となっていたバランス感覚が絶妙でした。

ストーリーもあまり細かな設定を置き過ぎず、特撮映画らしさも残しつつ、日本人の心に届くメッセージが込められた映画として、内容が充実した作品となっていました。

ゴジラ映画70周年記念の作品として、ゴジラ映画らしい作品ができたことが大変嬉しいことでした。ぜひ今後もゴジラ映画の伝統を受け継ぎつつ、新たなゴジラ映画が続いていくことを願います。

目覚めている人に向けて~新世界に向かうためのカウンセリング・個人セッション「ココロノネット相談室」~

ありすママファミリーのイベント情報はこちら

筆者おすすめの自家製炭酸水

重曹・クエン酸を小さじ1杯ずつ、水500mlを入れるだけで簡単に炭酸水ができます。いずれも健康に良い重曹・クエン酸で作るので、とてもおすすめです。

<その他おすすめの商品>

コメント

タイトルとURLをコピーしました