母を若くして失う、というあまり多くの人が体験しない出来事を経験しました。
※母であるありすママの旅立ちについては、こちらの記事に書いています。
心の準備が一切できていなかった訳ではないものの、急なことではあったので、かなり強烈な体験でした。
心理学においても、愛する人との死別は単なる悲しみとは別の感情、体験として語られます。
私の場合、心のバランスを保つためなのか、母を失って2週間ほどの現在、不思議な時間の感覚を持つに至っています。
それは時間がいくつかに分裂して流れているような感覚です。
今回は母の旅立ちを通じて経験した、時間の分裂の感覚について書き残しておこうと思います。
母が旅立ってから時間が分裂した!?

母の死という強烈な体験により、時間が3つに分裂したような感覚になっています。
これは皆さんにとって、ということではなく、私が個人的に経験している時間の感覚である、という点にはご留意ください。
以下のような3つの時間ができているのを感じます。
- 母が生きていたこれまでの世界の時間
- 母が亡くなって数日間(死去~葬儀の頃まで)
- 亡くなった後の現在に至るまでの時間
1.と3.が本来繋がっているはずなのですが、2.という強烈な体験が挟まったことで、3つに分裂してしまったような感覚なのです。
当面の課題としては、3.にとにかく慣れるしかないので、一生懸命3.の時間を生きようとしています。
実際に手続きや新たな暮らしの形を作るのに忙しいので、それに集中することで、一つの安定になっています。
ふとした瞬間、気が抜けた時に1.の時間が流れてくることがあります。その時には、母のいない寂しさがやって来ます。
また2.のことを思い出すタイミングもあり、それは悲しみと言う感情として体験することになります。
日常生活を送っていく上では、ひとまず1.や2.を切り離し、3.の時間に普段は集中している感じです。
少しずつですが、時間をかけて1.や2.との折り合いをつけようとしているようにも感じます。
喪失体験と時間的距離の感覚
もともと心理学をやっていたため、母との死別体験に出会った時に自らどんな気持ちになるのか、つい分析してしまいます。
こうした喪失体験があると、時間的な感覚に分裂とズレのようなものが生じるのはあり得ることのようです。
たとえば浜田省吾さんが歌う「PAIN」という曲は、まさに喪失体験に伴う悲嘆の反応に関して歌ったものです。
サビの歌詞が秀逸なので、以下に引用します。
二度と立てぬ 痛手なのに
https://www.uta-net.com/song/24156/
受け入れてく 不思議だ人は
追いつけない この悲しみ 後に残して
とりわけ「追いつけない この悲しみ 後に残して」という一節です。
私の感覚的にも、2.の悲しみをいったん後に残して、3.の時間を前に進めていく感覚が強いです。
不思議なことに、1.の最後の方の時間(母が亡くなる直前)よりも、2.の時間の方が昔のように感じられます。
特に母の病気や死と関係のない思い出は、1.の時間の方が近く感じられます。
やはり2.の強烈な体験と時間は、いったん遠くに残して、穏やかだった1.と、今を生きる3.を身近に感じて生きているようです。
このように時間的な分裂・ズレのような感覚が一時的に起きるのは、自分の心を保つ機能のようにも思えます。
1.~3.の時間がどのように統合されていくのか、まだ自分にもわからないところが多いです。
おそらく2.の悲しみに慣れ、1.の時間と緩やかに統合させながら、3.が自然に流れていくのを待つ、といったところでしょうか。
いずれにしても、統合には時間がかかるのだろうと思います。
ついつい現状の分析は心理学的に行ってしまいますが、解決は論理的には行えないものでしょう。
新たに時間が流れ、体験を積み重ねるうちに、緩やかに統合されていくものに思えます。
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