「今この世界はどこに向かっているのか」をめぐって、SNSなどで様々な話題が飛び交っています。大きく分けると、新世界に向かう希望的な見方と滅亡に向かっている絶望的な見方に分断されます。
たとえ同じ情報を読んでいても、ここまで真っ二つに見方が割れ、そして見えている世界が全く異なるのはなぜなのでしょうか?
この現象を説明する際に「世界線が違う」など、パラレルワールドが取り上げられることがよくあります。
パラレルワールドもイメージしづらい言葉ですが、さらにパラレルワールドと関連して「シュレディンガーの猫」と言う言葉を聞いたことはないでしょうか?
量子力学の有名なパラドックスですが、なぜこれがパラレルワールドと関連するのでしょうか。
今回は「シュレディンガーの猫」について紹介した上で、今起こっている新世界or滅亡論の2つの世界が同時にある状態を「シュレディンガーの猫」から理解してみよう、と言う記事です。
※理系的な知識は私にもないので、要点だけまとめますが、それでもかなり難解な内容になることを覚悟の上でお読みください。
シュレディンガーの猫とは?
シュレディンガーの猫とは、エルビン・シュレディンガーという物理学者が提示した有名な思考実験(実際に実験したのではなく、頭の中で実験したもの)です。
この実験では、電子や原子などの量子の世界(ミクロな世界)と、私たちが目に見えているものの世界(マクロな世界)を繋げると、実に不思議なことが起きてしまう、ということを言っています。
「状態の共存」が起きる量子の世界
実験の中身に入る前に、前提条件として、量子の世界の原則を押さえておく必要があります。これが非常にイメージしづらいのですが、1つの電子は同時に複数の状態を取れる、というものです。
量子論の世界では、これを「状態の共存」と言います。
こちらのページにイメージが書かれていますが、箱の中に仕切りを作って中に電子があるとします。左右どちらに存在するか、を考えた時、通常は「右か左のどちらか」の2択で存在すると考えます。
しかし量子論では、「右と左のどちらにも存在する」状態が生じ、光を当てて観測した瞬間に、「左右どちらかに存在する」状態だと確認できる、という性質があると言うのです。
これは量子論では不確定性原理によって説明されるそうで、私たちの目に見える世界では考えられないことです。
こちらのページにある例のように、人間に例えれば「ある時点に東京駅・大阪駅に同時に入る状態が存在し、実際に探した瞬間にどちらかの駅にいる状態になる」ということになります。
これは「駅に行くまでどちらにいるか分からない」と言う、単に情報を知らないと言う意味ではありません。「実際に2つの地点に同時にいる状態がある」と言うのが量子の世界です。
「パラレルワールドっぽい」と思った人は勘の良い人でしょう。
その話は後にするとして、「状態の共存」をどのように解釈するかの1つとして、確率論的に考える確率的解釈(コペンハーゲンの解釈)があります。
つまり、電子がどこにあるかを観測する前に考えるためには、確率的にいずれかに存在する、と説明するしかない、という立場です。
先ほどの箱の例では50%の確率で左にあり、観測したら左にあった、と言う具合です。
「シュレディンガーの猫」を理解するためには、どうしても量子の世界の「状態の共存」「確率的解釈」の2つを何となく理解しておく必要があります。
シュレディンガーの猫の実験内容とは?
シュレディンガーの猫の実験は、もともとは、量子の世界における「状態の共存」を「確率的解釈」することへの”皮肉”が込められたものだったようです。
具体的にどのような実験手続きだったのか、上の図を見ながら紹介していきましょう。
中が見えない箱の中には、まずウランやラドンなどの放射性原子があり、一定の時間で50%の確率で(先ほどの確率的解釈)原子核崩壊が起きると、放射線を発生させます。
先ほどの説明の通り、量子の世界では、原子核が崩壊していない状態・崩壊して放射線を出した状態の2つが共存する、と考えます。
そして放射線が発生した場合、放射線検出装置が作動して、ハンマーが振り下ろされて毒ガスが発生する装置が置かれています。
これらの装置が入った箱の中に、生きている猫を入れた場合、果たして中にいる猫の状態は生きているか、死んでいるか、どうなっているでしょう?というのがこの実験の問いです。
もちろん一定時間後、箱を開けてみれば、猫は生きているか、死んでいるかが観測できます。しかし箱を開ける前は、どういう状態と言えるでしょうか。
量子の世界では、放射線が出ている状態・出ていない状態が確率的に半々で共存しています。
放射線が出た瞬間に猫は死に、出なければ生きていることが確定しているならば、量子の世界と猫の生死は直結していることになります。
つまり、確率的解釈によれば、箱の中の猫は、半々の確率で生きている・死んでいる状態が”共存”していることになる、というのが答えです。
しかし半生半死の猫、というのは実際には存在しないはずです。だから確率的解釈は現実的ではない、というのがシュレディンガーの考えだったようです。
シュレディンガーは、より現実世界に即して考え、単に「箱の中を開けてみるまでは確率的にしか猫の生死は分からないが、箱の中では既に生死が決まっている」ということになるとみました。
その後、結局「箱を開けるまで状態は分からない」のか、「状態は始めから決まっている」のかの議論について、量子の世界では前者の確率的解釈が正しいと証明される知見が出てきたようです。
そのため、シュレディンガーの思惑とは逆に、量子の世界がシュレディンガーの猫でたとえられ、「箱の中の猫の生死は開けた瞬間に分かるが、それまでは状態が共存する」と説明されます。
もちろん猫のようにマクロの世界では起こりえないことですが、シュレディンガーの猫がこのようにして、量子の世界の難しい原則の説明に昨今は用いられているのです。
「シュレディンガーの猫」をパラレルワールドとして解釈する
ここまで「シュレディンガーの猫」の実験と、前提となる量子の原則「状態の共存」、そしてその解釈としての「確率的解釈」についてまとめてみました。
”半生半死の猫”という確率的な状態が、現実世界では起きない、という皮肉だったわけですが、「状態の共存」は確率的解釈以外の解釈もあります。
その1つが多世界解釈、パラレルワールドです。パラレルワールドの解釈では、異なる2つの世界が同時に存在している、と考えます。
確率的解釈と何が違うかと言えば、確率的解釈の観測者は”1つの決まった世界から眺めている存在”で、観測者のいない状態では、2つの状態が共存して定まらない、と言う考え方でした。
しかしパラレルワールドでは、”観測者そのもの”が別々の世界に存在する、と言う考え方をします。
「シュレディンガーの猫」で言えば、生きている猫を見た観測者、死んでいる猫を見た観測者は、別々の世界を生きて分岐している、と捉えるのです。
そして確率的解釈での”状態の定まらない猫”とは違い、生きている猫・死んでいる猫が別々の世界に並行して存在する、というのがパラレルワールドの考え方です。
非常に難解であるのが量子の世界で、私たちの目に見える世界と繋げた「シュレディンガーの猫」は、理解を進めてくれるような、さらに疑問を深めさせせるような実験だったと言えるでしょう。
※「シュレディンガーの猫」について、より詳しく知りたい方は下記のページをご参照ください。今回執筆にあたり、参考にさせていただきました。
・高校生から味わう理論物理入門:「シュレディンガーの猫」の解説|量子論のパラドックス
・ナゾロジー:「シュレーディンガーの猫」って結局どういう話なの? モヤモヤする部分を解説!
新世界or滅亡に分かれる世界を「シュレディンガーの猫」から考える
さて、最後に私たちの生きている世界に話を向けてみたいと思います。
冒頭でも述べた通り、今の世界は新世界に向かうか、滅亡に向かうか、で見方が真っ二つに分かれています。この状態を「シュレディンガーの猫」を踏まえて考えると、どう捉えられるでしょうか?
「シュレディンガーの猫」の猫をこの世界の進む先、と当てはめた場合、ここまで述べた確率的解釈・パラレルワールドの2つの見方は、以下のようになると考えられます。
- 確率的解釈:「新世界・滅亡する世界は共存した状態で、ある時点で初めてどちらの世界になるかわかる」
- パラレルワールド:「新世界・滅亡する世界が既に同時に存在しており、それぞれの世界にいる人によって見ている世界が異なる」
これだけ読んで「なるほど」と思える人もあまりいないと思います。「シュレディンガーの猫」のように、ミクロな世界をマクロな世界に広げる違和感がどうしてもあることが1つの原因です。
しかし「猫」のような生物ではなく、精神的な世界として捉えると、実はしっくりくるのではないか、と考えました。
「シュレディンガーの猫」を高次元・精神世界の話として解釈する
「シュレディンガーの猫」は、量子というミクロな世界を、私たちが目に見えているマクロな世界に直結させると、おかしなことになる、という思考実験でした。
しかし違和感があるのは、生きた猫・死んだ猫という生物としての物体と捉えているからだと思います。
私たちが見えている世界=3次元の世界においては、「状態の共存」という現象は起きないですが、より高次元の世界の話として理解したらどうでしょうか?
たとえば猫の”魂”の状態はどうだろうと考えてみましょう。毒ガスがばらまかれるかもしれない世界において、猫の魂は生きている世界・死後の世界の2つの状態のまさに真ん中にいるかもしれません。
私たちも、何か危機的な状態になれば”死を覚悟する”と言うように、魂はこちら側・あちら側の真ん中あたりの、いずれにも存在する状態なのかもしれないのです。
もっと言えば、魂は常に生きている世界・死んでいる世界のいずれにも存在している状態なのかもしれません。
「シュレディンガーの猫」の話も、より高次元の精神的な世界の話として考えてみると、それほど不思議な世界でもないように、私には思えてきます。
では量子の世界はどうなんだ、ということですが、私には専門的なことはわかりません。しかし私たちの目には見えていない量子の世界は、高次元の世界の仕組みで動いている可能性は大いにあります。
ですので、「シュレディンガーの猫」は量子という高次元の話を、3次元の世界と直結させたために、当然おかしなことになる、と解釈できそうな気がします。
観測者の視点を入れるかどうか – 真実は常に可能性として存在する
以前の記事で、事実と真実は違う、と言うお話をしました。
事実は記録された情報であり、3次元世界において存在するもの、真実はそれぞれの人の中に、解釈を伴う主観的なものとして存在していると考えます。
そして真実は常に可能性として存在しており、ある時点で(それは現在よりも過去の時点で)事実かどうかを観測することで、事実か嘘かが判別できるものです。
こう考えてみると、真実と量子の世界における「状態の共存」は似ているように思えないでしょうか。
精神世界や高次元の話を理解する上で、量子の世界が非常に参考になるように思えます。ですので「シュレディンガーの猫」の実験が、パラレルワールドなどと関連して論じられるのです。
そして「シュレディンガーの猫」は、猫と言う3次元に存在するものと結びつけるのではなく、高次元に存在する精神世界、そして真実の世界と結びつければ理解できるのでは?ということです。
確率的解釈・パラレルワールドの考え方に共通するもの・違いは?
話を新世界・滅亡論に戻しましょう。確率的解釈をすれば、「新世界・滅亡する世界は共存した状態で、ある時点になって初めてどちらの世界になるかわかる」となります。
これは新世界・滅亡論も、いずれも真実の可能性として存在しているが、時間が進んで、ある時点で観測すれば、新世界・滅亡のいずれかの状態が分かる、という見方です。
この見方は、ある時点で観測する、という「事実」を確認するという3次元的な視点が入っていることが分かります。
具体的に言えば、私たちの魂は新世界・滅亡の道のいずれの可能性の中を共存していますが、GESARAやEBSが起きた時点で、新世界の世界線が事実として(現象世界で)観測される、と言う具合です。
そして事実として明らかになるまでは、私たちの魂の世界は、新世界・滅亡のいずれの中にも存在し得る、というのが確率的解釈です。
一方で、パラレルワールドの捉え方は、観測者が事実確認をするというプロセスがありません。既に観測者ごと別々の世界にいるのがパラレルワールドだからです。
パラレルワールドでは「新世界・滅亡する世界が既に同時に存在しており、それぞれの世界にいる人によって見ている世界が異なる」と捉えます。
私が思うには、魂が新世界・滅亡の世界をそれぞれ自ら選んで進んでいる、というのがパラレルワールドの見方です。繰り返しますが、ここでいう世界は、精神的な世界のことです。
パラレルワールドの見方では、”ある時点で”観測する、と言う考え方もないので、時間的な視点もありません。そう考えれば、パラレルワールドの見方は5次元(以上)の捉え方に思えます。
突き詰めて考えれば、確率的解釈もパラレルワールドも、言っていることは同じで、魂は新世界・滅亡の2つの世界のどちらにも存在できるし、そのどちらかを選ぶことも可能です。
そこに3次元の視点、すなわち事実として確認するのが確率的解釈、事実の世界を持ち込まずに高次元の視点で進むのがパラレルワールド、ということになるでしょう。
まとめ – 私たちは何をすれば良いのか?
ここまで「シュレディンガーの猫」の解説、そして精神世界として理解することで、現在起きている論争の理解ができるのではないか、と言うことを書いてきました。
非常に難解な話になってしまいましたので、最後に全体をまとめたいと思います。
まず「シュレディンガーの猫」は、量子の世界における原則「状態の共存」と言う現象が、私たちの目に見える世界の仕組みとあまりに乖離しているのでは?と言う疑問を投げかけるものでした。
目に見える世界=3次元の視点に立てば、”半生半死の猫”があり得ないのは当然ですが、5次元(以上)の視点に立ち、猫の魂の話と捉えると、それほど不思議でもないように思えます。
「シュレディンガーの猫」は精神的な話と考えることで、私たちが今直面している新世界・滅亡のルートの分断、という現象も理解できるのではないでしょうか。
まず確率的解釈は、新世界・滅亡のルートは共存した状態で、ある時点で観測すると事実認定され、現象世界に表れるという解釈になります。
一方で3次元の観測者の視点がないパラレルワールドの考え方では、新世界・滅亡のルートは共存と言うより、別々のルートとして存在している、と解釈されます。
事実の世界では、事実をめぐる争い(これは本当か?)が起きるので、確率的解釈は3次元の世界と関連したものとなりますが、パラレルワールドはそういった争いがないために、高次元の捉え方なのです。
そして大事なことは、パラレルワールドと捉えた場合、どちらのルートを通るか、魂には選択する余地がある、ということです。
次元が下がるほどに私たちには選択の余地がなく、上がるほどに自らの選択が重要な鍵となります。
高次元の感覚になりたいならば、観測者の視点=3次元の視点から脱して、新世界・滅亡のルートのどちらが事実か探すのをやめましょう。
新世界・滅亡のルートは”半生半死の猫”のような不可解な状態ではなく、量子のようにどちらも共存するし、どちらも選べる状態に常にある、と捉えてください。
それを決めるのは自分自身の魂です。最後の最後は非常にシンプルなお話で、自分の行きたい道は自分で決める、ただそれだけのことを量子の世界を通じて説明すれば、今回のような内容になるのです。
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