こんなところにも次元の棲み分け?SOMPO美術館「ゴッホと静物画」で見た不思議な光景

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心・心理学

ココロノネットでは次元上昇次元の違いについて、いくつかの記事で書いてきました。

次元の違い、と言うと目に見えない世界のことで難しく感じるかもしれません。ただ目に見えないエネルギーの違いが、私たちの日常においても”棲み分け”として可視化されることも多々あります。

見える化された次元の棲み分けの事例を紹介することで、次元の違いについて理解しやすいのではないか、と思って積極的に書いています。

今回思わぬところで違いが表れた事例として、美術館における展示の見方にまつわる不思議な光景です。先日行ってきた「ゴッホと静物画」における事例から次元の違いを考えてみたいと思います。

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SOMPO美術館「ゴッホと静物画」で見た不思議な光景

SOMPO美術館で開催されていた「ゴッホと静物画」で見た不思議な光景のお話です。

状況を説明するため、「ゴッホと静物画」の会場の状況を紹介した上で、いかにも日本人らしい不思議な光景について考えてみたいと思います。

人気で混雑していた「ゴッホと静物画展」

このたび私が訪れたのは東京の新宿にあるSOMPO美術館です。

旧館名は東郷青児美術館で、1976年に損保ジャパンの本社ビルに開設され、2020年から新たな美術館棟へ移転してSOMPO美術館となりました。

ご自身が画家でもあった東郷青児氏のコレクションを常設し、ゴッホの「ひまわり」が見られる美術館としても知られます。

個人的な印象として、開かれる展覧会のテーマは玄人目線の内容が多く、単に有名な画家の作品を並べるだけでなく、1つの切り口から絵画や画家の理解が促進されるような内容になっています。

今回の展覧会「ゴッホと静物画」も、静物画の歴史の中にゴッホを位置づけ、ゴッホを軸に静物画を捉え直してみよう、というなかなかマニアックな内容です。

マニアックな展示が多いため、平日だとゆったり見られる客入りであることが多く、てっきり今回ものんびり見られるのか、と思っていたら大間違いでした。

さすがに”巨匠ゴッホ”のネームバリューの影響か、日時指定予約のチケットも売り切れの時間帯が続出し、会場もかなり混雑していました

行儀が良いor何も考えていない?会場内の不思議な光景

会場内は混雑していたため、作品の前には列ができてしまい、作品を目の前で見るにはその列に並んでみる、という美術館でよく見る光景がSOMPO美術館でも見られました。

考えてみれば、これ自体がまず不思議な現象だと思っています。美術館の展示は、確かにいくつかのブロックに分かれて、大まかには見る順番が分かりやすいように流れが作られています。

しかし絵が並んでいる順に見なければいけないと言うルールはなく、空いているところから好きなように見ても良いはずです。

並び順に意味がある場合(関連する作品が隣になっているなど)もありますが、それは後からもう一度見て、頭の中で整理すれば済むはずです。

このように考えていくと、「列に並んで絵を見る」と言うのは、実は単に”何も考えていない”のです。もう少し言えば、”順番になっているから順にこなす”という機械的な動作に過ぎないのです。

そもそもゆっくり見たい絵、そうでもない絵、など鑑賞時間にも濃淡があるはずなのに、一律に並んで見ていて何も感じないのか、と思うのですが、今回はさらに不思議な光景に出会いました。

以下の写真は、展覧会のメインとも言える「ひまわり」の絵が展示されているフロアです。向かって左手の茶色の壁からさらに左側に展示が進んでいくような構図です。

しかし前の方で列になって鑑賞している人が渋滞して、作品のない写真右側のエリアまで人が溢れて列が長くなっているのです。

ここに並んでいる人たちが絵を見終わるのはいったいいつになるのでしょうか。この先には6~7枚程度の絵が並んでいるだけですが、ずっと列に並んでいたらかなりの時間がかかってしまいます。

しかし列に並んで鑑賞してくださいと言うルールはどこにも書いてありません。

実際に私は空いているところに入って見たり、後ろから眺めたりして、他にも同じことをしている人も見かけましたが、係の人に止められもしませんでした。

混雑が予想されるエリアではあるので、係の人に「これは美術館からお願いしているのですか」と尋ねてみました。

すると係の人は「いえ、空いているところから見ていただければ良いのですが」と、この状況にやや困っているような様子で返答され、実はお願いしてもいないのに列ができてしまっていたのです。

皆さんはこの列についてどう感じるでしょうか。1つの考え方としては、しっかり列になって日本人は行儀が良い、と言う見方もできるかもしれません。

確かに混雑していてもトラブルが全く起きていないのは日本人の良いところでしょう。

しかし一方で「この列は何だろう」と何も疑問を持たない人たちの集まりとも言えます。どこかにお願いの掲示でもあるのか、と探す様子もなく、ただボーっと並んでいる人たちは不気味でもありました。

また係の人に尋ねる際に、あえて周りにも聞こえる程度の声量で話して、列が減るかどうか試してみました。並ぶルールがあると勝手に思いこんでいた人が移動するかと思ったからです。

結果はほとんど列から外れる人はいませんでした。

列に並んでも最前列で見たい、と言う人も確かにいたでしょう。しかしただ列に並ぶことを機械的にやり続けている人が多く見えるのが、とても不思議でした。

美術館の鑑賞の仕方に見る次元の棲み分け

今回SOMPO美術館の「ゴッホと静物画」で見かけたこの光景に、私は次元の棲み分けを感じました。つまり、長い列に並んでいた人と好きなところから自由に見ていた人の違いです。

まず作品の外まで長い列に並んでいた人たちは3次元の人たちが多かったのではないか、と思います。列に並ぶ、と言う自分の行動について、自分では実は判断していません

「皆が並んで見ているから」「美術館ではいつも並んで見ているから」など、自分では判断をしておらず、他人を軸にしたり、慣習を軸にしたりしています。

なぜならその方が安心だからです。人と違うことをするのが怖い、皆と同じが安心、というマインドは3次元の人たちの特徴です。

「ゴッホと静物画」の例では、混雑が予想されるエリアではあったものの、それを見越して判断したと言うより、慣習に倣ったら長蛇の列になってしまい、美術館の人も困っている、という様子でした。

並んで見るというのは、前の人の動きに合わせなければならず、自分のペースでは絵画鑑賞が思うように楽しめないはずです。しかしそれでも列になって見る方が安心、と言うのが3次元の人たちです。

彼らには、人の迷惑にならないように、という心理が働いています。混雑でお互いが見るのを邪魔し合わないように配慮する、という心がけ自体は素晴らしいものです。

ただそれは「列になる」と言う方法以外でも実現できるはずなのですが、それ以上考えるのが面倒くさい(=思考停止)、配慮する行動さえしておけば良い、という心理が働いています。

本来の目的は”自分が”絵画を楽しく鑑賞する、はずだったのですが、それを犠牲にしても”他人だけ”に配慮をする結果になってしまっています。

「人のために」という気持ちが、本来の目的に勝ってしまい、思考停止になっている事例で、ココロノネットでも取り上げたコロナやワクチン、ウクライナ騒動などでも見られた現象です。

しかし絵画鑑賞とは、まず”自分が”絵画を自由に楽しむのが最大の目的ではないでしょうか。そして混雑しているから、”他人にも”配慮をする、というのでも良いはずです。

このように自分がまず先にあり、他人にも配慮すると言う感覚が、5次元の感覚だと感じます。

美術館における絵画鑑賞は、自由に自分の思ったままに好きに鑑賞すれば良いはずです。好きな絵に好きなだけの時間をかけ、好きな順番で鑑賞することが許される場です。

もしその会場が貸し切りで自分だけだったとしたら、自由な順番で好きな絵から見て、自由な時間を過ごすのではないでしょうか。

しかし混雑した状況であれば、それぞれが本来は自由に見たい、と思っていながら、あまりに自由に動けばお互いの鑑賞を邪魔しあってしまいます。

だからお互いに配慮して、時には場所を譲り合って鑑賞する、と言うことです。

5次元の人たちは、まずは自分と言う軸がしっかりとあります。自分がどう考え、どう動くか、が全ての中心にあります。

そして他人も同様に自分を持っているからこそ、自分も他人も尊重する、と言うのが5次元の考え方です。

ですので、列に並んで見るのは、自分を犠牲にして他人を尊重していますが、実はお互いイライラしているので、5次元とは言えません。

お互いがイライラしないように、上手く立ち回って場所を譲り、自由に絵画鑑賞することを目的とする5次元の人のあり方だと感じます。

ここで注意しておきたいのは、3次元・5次元のどちらの方が優れている、と言っている訳ではありません。それぞれのやり方があり、否定をするつもりはありません。

ただごく主観的な判断をした時に、あなたはどちらが幸せに感じますか、というだけです。その質問の答えが、まさにあなたの今いる次元が分かります。

まとめ – 日常生活に分かりやすく表れる次元の棲み分け

今回は美術館で見かけた不思議な光景から、次元の棲み分けについて考察してみました。

実はこのように次元の棲み分けは、日常生活の中にも分かりやすく見える化されています。たとえば「何も考えずに列に並ぶ」と聞けば、言われるままにワクチン接種した人たちを連想します。

コロナ騒動では、きっと美術館で何も考えずに列に並んだ人たちと、マスク・ワクチンを何も考えずに受け入れた人たちは重なり合うように思いました。

今回も述べた通り、3次元・5次元の分かれ目のポイントは、自分を軸に考えているかどうか、だと改めて思いました。

自分を尊重するからこそ、他人も尊重できるのであり、他人だけ考える、と言うのは(さらに高次元の人でもない限り)、自己犠牲であり、結果的にお互いのためになりません。

そして次元の棲み分けが起きると、同じ場所に物理的に存在しても、まるで別世界を経験しているかのような状態になります。

長い列に並んでイライラしながら何を見たのかも分からなかった人、混雑の隙間を狙って好きな絵を楽しんだ人、両者の主観的な経験は全く別のものです。

どのように生きたいのか、どの道を選択したいのか、ということが、どの次元を選ぶか、のカギになっていると改めて感じる出来事でした。

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