コロナ騒動を穏やかに生きるために(後編) – 科学”信奉”の心理と「自灯明・法灯明」の考え方

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心・心理学

依然として終わらせる様子のないコロナ騒動。現在はオミクロン株で騒いでいる状況であり、ついには”濃厚接触者”の数で恐怖を煽ろうとしています。

そんなコロナ騒動の中、穏やかに生きていくための記事を前回も書きました。

コロナ騒動でも穏やかに生きるために(前編) – 日常への科学的思考の侵食に注意!

前回は科学的な思考法を、コロナ騒動の中で過度に持ち込んでしまう人の問題点を書きました。科学自体の限界を知らなければ、誤った考え方で人とぶつかることになってしまいます。

後編となる今回は、そんな科学を”信奉”してしまう人の心の在りようを述べ、コロナ騒動の中で穏やかに生きるために必要な心の状態について、書いてみたいと思います。

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科学を”信奉”してしまう人の心理 – スピリチュアルとの共通点は?

科学的な見方は適切に用いられれば良いのですが、あまりに頼り過ぎると、見当違いな考え方をしてしまうことが、前回の記事でわかりました。

こうした科学”信奉”に陥ってしまう人の心理はどのようなものなのでしょうか。

白黒つけることが心の安定に

科学は先に述べたように、分かりやすい状況設定をして、正しいかどうか白黒つけるものです。

感情や気分に流される人間の不安定さに対して、科学はそれを乗り越えられるものだと考える人もいるでしょう。

その考え方が、万能感を生み出してしまってはいないでしょうか?

正体不明のコロナや、今ひとつ食い違っているようなコロナ対策の不明確な状況に対する不安に対して、科学的な考え方は不安を和らげてくれているのでしょう。

日本人は無宗教だと言いますが、やはり人間は何かにすがりたいものです。宗教を信じられない人は、科学にすがってしまっている、というのが科学信奉の人の心理ではないかと思います。

科学というツールで物事を判断していれば、不確定なことがなく、自分の心が乱されることがない、という心理が働いています。

”心酔”すれば科学もスピリチュアルも同じ

そして面白いことに、科学を信奉する人は、一見考え方は正反対に見えるスピリチュアルなものに心酔する人の心理と同じことが起きています。

スピリチュアルな話は、科学的な根拠はないけれど、科学で分かっていること以上の、世界・宇宙の仕組みを教えてくれるものです。

先行きが分からない不安から、こうした精神世界に関心を持つことは悪いことではないと思っています。

しかし、中には心酔するあまり、明らかな嘘に騙されてしまう人もいます。データで実証されるものではないので、そこに付け込んで詐欺が起きやすくなってしまうのです。

なぜ騙されるかと言えば、その万能感に飲み込まれ、自分を見失うからです。つまり、一切自分で考えたり、判断したりしないで、心酔してしまうということです。

そして、科学を信奉してしまう人も、実は不安から科学にすがり、きちんと自分自身の人生や、人との関係について判断できていない点に問題があります。

科学的な思考は、一見考えているように見えて、科学的思考と言う万能感に包まれて、自分自身の問題に向き合うのを放棄しているに過ぎないのです。

科学もスピリチュアルも、世界について知るための枠組み・ツールである点では同じです。それを用いて、自分はどう考えるのか、常に自分と向き合わなくてはいけないはずです。

それなのに科学は絶対正しい、というスピリチュアル以上に確固たる自信を持ち、何を言っても変わらない頑固な人間になってしまうのです。

科学もスピリチュアルも、”信奉”してしまう人は、自分の不安を解消するために心酔し、自分で判断するのを放棄してしまっている人たち、ということになるでしょう。

コロナ騒動から見える、これからの生き方

コロナ騒動では、様々な情報が津波のように押し寄せ、その中で何を信じて良いのか、わからない、と思っている人が増えました。

しかしここまで述べたように、科学であれスピリチュアルであれ、物事を捉えるためのツールに万能なものはなく、それさえ使えば安心を得られるものではないことがわかりました。

そもそも”何を信じて良いかわからない”という言い方自体に、まだコロナ騒動を穏やかに生きられない考え方が透けて見えています。

そこで最後に、今起きているコロナをめぐる不可解な状態の中でも、穏やかに生きていくための考え方を述べていきましょう。

自分軸で生きる時代へ

コロナをめぐる騒動は、自分の外に判断の軸を持つことが、いかに判断を誤らせるのか、ということを明らかにしたものとは言えないでしょうか。

これまで述べてきた通り、客観的とされた科学的思考も、それだけに固執すれば、本当に起きている現象の理解を歪めてしまうことすらあります。

またスピリチュアルのように、自分の内側に入って行くような思考も、それを自分自身でどう捉えるか、と言う視点がなければ、何かに依存しているのと同じです。

自分の外側に判断の軸を置くから、惑わされるのです。これからは常に何かを判断するための軸は自分の中に持つ必要があると言えるでしょう。

そして大事なことは、真実か否か、という科学的な思考を捨てることだと思います。コロナの問題や最近よく見かける陰謀の話を聞いて「本当なんですか?」と聴く人がいます。

しかしこの「本当なのか?」と言う考え方こそ、真偽の科学的思考に支配されている証拠です。真偽の世界は、正しい・間違っている、の2者で争いを生むものです。

これからは正しい、正しくない、を自身の判断の軸に置くのではなく、善い方向に向かうものなのか、信じたいと思えるものなのか、という事を、心に問いかけてみるのが良いでしょう。

そして絶対的な真実になど、たどり着けないことを自覚しましょう。また必ず真実しか言わない人などいないと思って、自分自身がどう思うのか、何が善いと思うのか、で判断しましょう。

たとえばマスクやワクチンが必要なのか、と言う問いは科学では解決しません。必要だと言う主張も、不要だと言う主張も作れるので、戦わせること自体が無意味です。

自分はどう考えるのか、自分がそう生きたいと思う方へと向かって生きていけば良いのです。

自灯明・法灯明の考え方

「自分の思う通りに」と言うと、独りよがりの判断になってしまわないか、と思う人がいるかもしれません。しかしそうならないように、仏教ではとても参考になる言葉が既にあります。

それが「自灯明・法灯明」と言う言葉です。

お釈迦さまが亡くなる前に弟子たちに遺した言葉と言われ、師の亡き後に何を頼りに生きていけば良いのか、『大般涅槃経』の中で述べられています。

「自灯明」とは、自らを灯りとして生きなさい、ということで、これまで述べてきたように自分自身を拠り所にしましょうと言う意味です。

他人の意見や、自分の外にあるもの(科学やスピリチュアルの考えもしかり)に振り回されず、自分自身を信じるのが良いと言うことです。

この言葉が誤解されるのは、自分自身だけを拠り所とすれば、自分の欲のままに生きると言う考え方です。これは「自灯明」の部分だけを取り上げて、誤解されたものと言えるでしょう。

大事なことは、それに続く「法灯明」です。「法」を拠り所にしなさい、という意味は様々な解釈があるようで、その原因は「法」が何を指すのか明確でないことから来ています。

これは私の考え方ですが、「法」とはこの世界全体に流れている真理の法則性のことだと思っています。一言では言い表しにくいですが、仏教ではいくつか重要な真理を説いています。

たとえばそれは「因果の法則」です。物事には必ず原因と結果があり、自分の身に降りかかった出来事(結果)には、必ず自分に原因があると考えます。

※当ブログ記事「悩みの”原因探し”は心の問題を解決しない? – 仏教における因果の道理を学ぶ

「因果の道理」と言うと聞き慣れない言葉かもしれませんが、「情けは人の為ならず」はどうでしょうか?実はこの言葉も、因果の道理から来ている言葉です。

「法」はすべてに通用するため、私たちの日常にも必ず当てはまっています。「法灯明」とは、そうした法則性をまずは自覚し、それを実践しなさい、と言うことだと考えています。

そして、その法則性は絶対のものでも、感じ取り方は人の数だけあります。そのため誰かに教わるのではなく、自分を拠り所にして自覚しなさい、と言う意味で「自灯明・法灯明」なのです。

1つ前の項で「自分軸」という言葉を使いましたが、これは世界を司る法則性を感じ取る自分軸のことだったのです。

この自分軸を獲得するためには、まず世の中にある「真偽」など、実は真理の法則性とは異なる誤った判断軸を捨てるところからでしょう。

そして自分の心に素直になりましょう。自分が腹の底で嫌だな、と思っていることは真理の法則性からは外れていることです。自分の頭ではわかっていなくても、心は素直にそれを見極められます。

その自分の内なる声、心に素直になれることこそ、一番の自分軸と言えるでしょう。知識や理屈はもちろん必要ですが、何かを決める時、自分の心の声にまずは耳を傾けましょう。

自分の内なる声を、できるだけ正確に歪むことなく感じ取ることこそ、今の時代を穏やかに生きていく上で重要なことです。

その歪みを少なくしていくことこそ、日々の”修行”でもあり、「法灯明」を実践することにもなるでしょう。

※「自灯明・法灯明」については、以下のサイトに詳しく書かれています。

自灯明法灯明とは何か ―四念住(四念処)について― * 法樂寺
仏陀の教えとしてしばしば巷間言われる「自灯明法灯明」とは何か、その意味内容はいかなるものか。それは四念住(四念処)を修めることである、と経典に説かれる。菩提への要道たる四念住とは何かを、諸経論の見解を引きながら概説。

まとめ

前回と2回にわたって、コロナ騒動をめぐる科学的思考の問題、そして穏やかに生きるための心の持ち方について書いてきました。

科学の考え方は、科学の議論をする際でなければ、人が生きていくための判断軸にしてはいけません。科学に万能感を持っている人は、まずそのことを自覚すべきでしょう。

そして物事の判断軸は自分の中にあります。あらゆる情報をキャッチしたとしても、それをどのように判断し、何を信じるのかも、全て自分次第です。

ではどうやって自分自身で判断をするのか。それは「自灯明・法灯明」の考え方を用いて、世界を動かしている法則性を自分自身で、自覚していくことです。

必ず物事が良い方向にめぐる作用は存在しています。その目に見えない力や法則性を、自分自身の感覚で見につければ、自然と何を信じれば良いのかが分かってきます。

不確かな情報が多い時代だからこそ、そうした自分自身で判断の軸を持つことがさらに重要になっています。

情報をただ集めるだけでなく、それをどう受け止めるのか、自分自身の心の問題がますます重要な時代になっています。

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