Xで話題になっていることに、竹俣紅アナウンサーによる河野太郎氏への指摘が「会心の一撃」だったとするものがあります。
これは河野太郎氏が”ブロック太郎”と言われるほど、Xで一般人までブロックする行為に対する批判に関して、竹俣紅アナウンサーが的確な指摘をしたものでした。
確かに「よく言った」と思えるほど的確な指摘で、ここまで絶賛される理由はなんだろうと考えてみました。それは議論における”美しさ”のようなものがあったからだと感じます。
今回は竹俣アナウンサーによる河野氏への指摘がなぜ称賛されたのか、議論における”美しさ”から考えてみました。
竹俣紅アナウンサーによる河野太郎氏への指摘とその評価
このアナウンサーさん、我々が言いたい事をズバリ言ってくれてる✨
— アメリカから見た日本 (@yamatogokorous) August 28, 2024
河野さんは言い訳がましい。
pic.twitter.com/lLgvjGmwaz
Xで拡散されたのは、上記の場面でした。これはBSフジの「プライムニュース」に河野太郎氏が出演した時の映像のようです。
映像では、まず番組宛に40代の男性から送られたメールが紹介され、以下のような内容でした。
誹謗中傷に対して、ブロックすることは理解できるが、自分の都合の悪い意見などまで、ブロックしているように見えるので、このような方が、総理総裁になっても国民の意見を聞かない総理になるのではないかと心配になる。
メールの趣旨は、正当な批判まで”誹謗中傷”としてブロックしてしまい、意見を聴かない人物が総理になることはどうか、というものです。
これに対し、河野氏は「間違ってブロックすることがある。」という、あまり答えになっていない回答をしています。
(間は編集して切られているようですが)それに対して竹俣紅アナウンサーは以下のような指摘をしています。
ただ、政治家の場合、やはり芸能人ですとか、オリンピック選手とは違って、誹謗中傷という言葉の中に、正当な批判ですとか、反対意見も含んでしまうことによって、誹謗中傷という言葉を盾にして権力を振りかざす恐れもあるのかなと思うんですけど。その辺りはどうですか。
これはメールの内容を言い換えたものとも言えますが、「誹謗中傷という言葉を盾にして権力を振りかざす恐れもある」と言う指摘が、より本質に踏み込んだものでした。
これに対して河野氏は、以下のように回答しました。
政治家だからいい、芸能人だからいいということをやっていたから、ここまで誹謗中傷が広がってしまったので、あらゆる誹謗中傷はダメだということがまず大前提だと思います。意見を言うことは別にその個人のツイッターに誹謗中傷もどきで意見を言わなくても、色んな場面で意見を言うことはできますから。私はそれよりはこの誹謗中傷をいかに防ぐか、というのが今、SNSの中で大事なことだと思います。
河野氏の返答は誹謗中傷が広がることへの懸念を述べたものですが、正当な批判と誹謗中傷をどう判断し、何を持ってブロックするのかという問題からすり替えてしまいました。
答えをはぐらかすばかりの河野氏に対し、「会心の一撃」だったとネット上では称賛の声が相次いだことがネットニュースにも上がっています。
なぜ竹俣紅アナウンサーによる指摘は絶賛されたのか?
議論に美しさがあるとすれば、それは正しさを超越し、その場のムードを読み、邪な考えがなく、水が流れるような論理で構成される言葉です。一方で論破はマウント取りになり、邪な思いがあるため、無理やりパワーで押し通そうとするから美しくないのです。
— よっしー(ありすママファミリー) (@ych369) August 31, 2024
竹俣紅アナウンサーの発言が称賛されたのは、もちろん「私たちが思ってくれることを的確に言ってくれた」という代弁してくれた感覚が最も大きいものと思います。
ただそれは”論破”のようなパワーでなぎ倒すようなものではなく、議論における”美しさ”が見えたからではないか、と考えました。
議論の美しさについて考えてみると、以下の2点に集約できるように思います。
- 論理・言葉の美しさ
- 正しさを超越した論点
論理・言葉の美しさ
議論の美しさは、まず論理や言葉の美しさから来ています。今回の竹俣アナウンサーの例では、非常に分かりやすい言葉で、かつ指摘したい部分が明確でした。
論理・言葉が美しいということは、実は邪な気持ちがないことから来ていると考えます。
論破しようとすれば、マウントを取ろう、打ち負かそう、目立とうなどの欲が絡んでくるものです。しかしここにはアナウンサーとして視聴者の聴きたいことを尋ねようという思いが見て取れます。
視聴者からのメール内容は、誹謗中傷の是非から政治家としてそれをどう受け止めるか、などある程度幅を持った問題提起が含まれたものでした。
その中から、河野氏がなかなか答えないが皆が気になっている、政治家が批判意見を”誹謗中傷”とレッテルを貼って逃げる=権力を利用する問題を抜き出して、的確な言葉で伝えました。
もちろん本人がどのような思いで発言したか分かりませんが、言葉自体は流れるような美しさで連なっています。それが邪な、あるいは不安などのネガティブな波動がない状態で発せられている証拠です。
正しさを超越した論点
議論すると言うことは、基本的に絶対的な正しさはないものと思っています。当然様々な意見があり、常に議論は対立するものの中で行われます。
そう考えると称賛される指摘とは、正しさを超越した何かがあると言えるのではないでしょうか。
それこそが、多くの人が声にしたい論点について、今のムードを読み取って発言したと言うことに思えます。
スピリチュアルの言い方を使えば、集合意識の流れに沿ったものであると言うことです。誰しもが心の中にあって、それが暗黙に共有されているものを集合意識と言ったりします。
集合意識に沿っているということは、エネルギー的に見ても、非常に流れが良い状態です。そうしたエネルギー・波動の高さが言葉に宿って、称賛されたのでしょう。
それゆえに河野氏は真っ向からその言葉に立ち向かえませんでした。エネルギーに逆らった発言は当然批判の的になるため、河野氏もそれは分かった上ではぐらかしているはずです。
まとめ
今回は竹俣アナウンサーによる河野氏への指摘がなぜ称賛されたのか、議論における”美しさ”から考えてみました。
議論とは言葉を持って”正しさ”を戦わせるものではありますが、実は勝ち負けを超越したところで称賛される意見は、エネルギーの高さが言葉に宿るからである、と考えます。
竹俣アナウンサーは、多くの人の代弁を的確に行い、邪な気持ちがなくストレートに伝えたために、それが言葉として出てきたので称賛されたのでしょう。
そして今回挙げた2点「論理・言葉の美しさ」「正しさを超越した論点」のどちらもがあったことも大事でした。片方だけがあっても上手く伝わらないことがあります。
場を読むのが上手いだけでは印象操作として悪用もできますし、言葉が上手くてもムードに合っていないとそれほど響かないのです。
一方で波動の高い・合致した言葉は、正しさの軸を超越し、美しい言葉と論理が人の耳に心地よく入って行きます。
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