「AI」という言葉を聞くようになって既に随分経ち、私たちの生活の中にも目に見える形で入り込んできた印象です。
AIとはArtificial Intelligence(人工知能)の略であり、コンピュータが人間のような知的な活動を模倣できるように設計された技術やシステムの事を指します。
新たな技術が登場した際には、その技術と人類との向き合い方が問題になります。とりわけAIは私たちの生き方とも関連する、重要なものに思えます。
今回はAI技術に関して、ファクトチェックなど”AIに頼る”ことの問題点について考察してみました。
AIが有効な場面・疑問を感じる場面とは?

AIが私たちの生活の中により目に見える形で入ってきました。最新のニュースとしては、Google検索にAIモードが実装されることが発表されていました。
既におすすめ情報や広告などを、その人の履歴などから割り出す技術は使われていたと思われますが、いよいよ検索にもAIが活用されることになります。
※日本経済新聞:Google検索「AIモード」日本でも 早ければ年内、広告モデルに転機

AIが活用される事例として、文章や画像・映像の作成やファクトチェックなどもよく見かけます。これらも有効だと思われるものもあれば、現時点では疑問が残るものもあります。
たとえば文章作成もAIは行ってくれるのですが、情報を網羅的に集めるような、手引きや説明書など誰が作ってもある程度同じものになる文章は得意のように見えます。
一方で、人が作った”味”のようなものはAIにはなかなか見られないようにも思われます。とりわけ芸術的な要素ではAIの今後の活用が気になるところです。
やはりAIによる画像、映像などは、明らかにAIが作ったもの、という感じが伝わってきます。AIアートと言う分野として見れば、それも1つですが、人の作る芸術とは隔たりがあります。
AIに全て頼るのは、”神頼み”と同じこと!?

AIは最近ファクトチェックに使われるようになってきています。XではGrokがPremiumアカウントで使えるようになり、ファクトチェックに用いられています。
GrokとはXの全投稿データをリアルタイムに学習し、AI回答を提供する仕組みです。これを用いて、投稿の真偽を尋ねるユーザーをよく見かけるようになりました。
Xの全投稿を学習して回答を提供する、ということは人にはできない芸当ですので、確かにこの回答を得るところまでは、AIに頼れるところだと思われます。
しかしAIが回答してくれたことで、それがすぐに情報の真偽である、と判定して良いのでしょうか?つまりAIの回答を鵜呑みにするだけで良いのか、ということです。
AIが調べてくれることに全面的に頼るのは、神社で神頼みする・現世利益を求めるのと同じ構造である、と私は考えました。
神頼みや現世利益があまり良くないと言われるのは、自分では何もしないで、神様にお願いだけしても何も成就はしない、という点です。
大事なことは、まず自分でやれるだけのことはやる、という姿勢です。その後に、自分ではどうにもならないことを神様に任せる=流れに任せる、ということになります。
AIについても同様で、AIが判定してくれるから安心=自分では何もしない、となってしまうと、真実を見失うことになってしまいます。
基本的にはまず自分があり、自分ではできない・足りないところを、誰かに頼るというのが何事においても重要です。
こうした姿勢は情報を調べることにおいても、人生においても重要になってきます。
実はまずは自分で考える・調べる、という姿勢こそ、”目覚め”において大事な要素です。これがなければ、思考停止が生まれ、新たな技術に振り回されるだけの存在となってしまいます。
逆に考えれば、どんな技術が登場したとしても恐れる必要はありません。自分自身がまずは中心にある、という大原則からブレなければ、全て上手く活用できるはずです。
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