悩みの”原因探し”は心の問題を解決しない? – 仏教における因果の道理を学ぶ

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心・心理学

生きている限り、人間関係や人生についてなど悩みは尽きません。何か問題にぶつかったときには、まずその原因を考えることが多いでしょう。

しかし”原因探し”をすることは、問題の解決に繋がらないことがあります。心の問題に関して、原因と結果の関係、因果関係を考える際には注意が必要です。

心の問題を解決する上では、今回紹介する仏教における因果の道理が有効です。日々起きる問題に悩んでいる人は、仏教の教えを参考にすると解決に近づく可能性があります。

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日常で使う「因果関係」とは?

何か問題が起きた時には、その原因を探します。最初に原因と結果の関係について用いられる因果関係について確認しておきましょう。

因果関係とは、「2つ以上のものの間に原因と結果の関係があること」です。つまり、AとBに因果関係がある場合には、Bが起きる原因はAであるという関係が成り立ちます。

たとえば、「キーボードを打つと文字が表示される」という現象は、「キーボードを打つ」ことが原因となり、「文字が表示される」という結果が得られます。

ただし「気温が高いとアイスが売れる」はどうでしょうか?確かに気温が高いとアイスは売れますが、実はそのアイスが美味しいから、宣伝をたくさんしたから、というのが本当の原因かもしれません。

他に原因となるものがあるとき、「気温が高い」ことと「アイスが売れる」ことには因果関係があるとは決められません。

このように、因果関係の原因を正確に言い当てることは難しいと言えます。

心の因果関係を考える際に注意すべきこと

因果関係は物事を説明する時に便利であり、心の働きについても用いられる考え方です。心理学では原因となる側を独立変数、結果となるものを従属変数として、分析を行います。

しかし心の働きに用いる際には注意が必要です。何か問題が起きたことの”原因探し”は、必ずしもメンタルヘルスを保つ上では有効ではないからです。

たとえば、嫌なことを言ってくる上司がいるとして、あなたはそれにうんざりしているとします。あなたがうんざりしている原因は何でしょうか?

ほとんどの人は「嫌なことを言ってくる上司」と答えるでしょう。確かにその上司と関わらなければ、嫌な気持ちにならずに済むので、原因であるには違いありません。

しかし原因が上司だとして、その上司に嫌なことを言わないように変化させることができるでしょうか。ほとんどの場合、他者を変えさせることは容易ではなく、期待できません。

原因が上司にあると考えるのは、”正しい”かもしれませんが、問題を解決させるものではないのです。自分の外にある人や物を変化させることは容易ではないことは、皆さんも経験されていると思います。

また現状が変わらないので、嫌な気持ちだけが溜まっていく一方です。そして愚痴が増えていくばかりで、経験上あまり良い心の状態ではないと言えます。

このように原因探しは、現状が変わらないばかりか、自分のメンタルヘルスを下げることにつながります。心の問題について、一般的に”正しい”とされる因果関係を持ち込むのは有効ではありません。

仏教における因果の道理を学ぶ

心の問題を考える際には、一般的な”因果関係”を考えるのが有効でないことがわかりました。実は、仏教における因果の道理を知れば、解決をすることができるのです。

一般的な因果関係を考えると、自分の心の状態(=結果)は、自分の外にある誰か・何か(=原因)と考えていました。

仏教における因果の道理は異なる考え方をします。仏教では、「自分に起きた結果は、すべて自分に原因がある」と考えます。

これを「因果応報」と言ったり、近い言葉で「自業自得」と言ったりします。

自業自得」という言葉はもともと仏教用語です。この意味は、「自分の行いが自分の運命を生み出す」もので、良い行いをすれば良い結果が、悪い行いをすれば良い結果が得られると考えます。

仏教ではこれを「道理」、つまり絶対に変わらない真理として捉えています。では簡単な例で因果の道理を考えてみましょう。

たとえばテレビに出ていたお金持ちの有名人を見て、あなたは妬ましい気持ちが浮かんだとします。

仏教では、あなたは妬ましく思った原因は、テレビに出ていた有名人とは考えません。あなた自身がそのテレビを見たこと、そしてそう感じてしまうあなた自身の心の問題と考えます。

あなたはお金持ちになりたいと思っている、それが現実にならないことに苦しんでいるかもしれません。そのためお金持ちの有名人と自分を比べて、妬ましい気持ちが生じてしまったと考えます。

自分自身の気持ちを原因と捉えれば、他人と比べないように自分自身の考え方を変えることで、妬ましくなることもありません。

このように因果の道理にもとづいて、自分の心にある原因を探り当てることで、結果も変わってくるのです。

仏教における因果と縁

では今の例で出てきた「お金持ちの有名人」をどのように捉えるのでしょうか?

仏教では自分以外のものを、全てと考えます。縁は、あらゆることを引き起こす根本として考えられています。

先ほどの例でも、あなたがテレビでその有名人を見なければ、妬ましい気持ちも生じなかったはずです。テレビが縁となって、あなたの心の中の因果を生じさせた、と考えます。

縁は心に大きな影響を及ぼすものと考えられます。最初の嫌な上司の例で、因果と縁の関係を考えてみましょう。

因果の道理にもとづけば、自分がネガティブな気持ちになる原因は自分自身にあります。嫌なことを言う上司は原因ではなく、縁と考えます。

そして自分に悪い結果をもたらす縁を、悪縁と言います。上司によって自分が嫌な気持ちになっていれば、上司は悪縁と捉えることができそうです。

ただし上司は、自分を映し出す鏡とも言えます。心理学などで言われる鏡の法則によれば、上司の心の状態は、あなたの心を映し出しているという考え方もできます。

上司が嫌なことを言うのであれば、あなた自身も周りに対してネガティブな発言を多くしていないでしょうか。自分自身がポジティブに振る舞えば、周りにポジティブな人が増えてきます。

上司をきっかけに自分が良い方向に変化できれば、上司は悪縁とは言えません。このように縁は、捉え方次第で良くも悪くも変わるのです。

ただし仏教では、「悪縁には触れるな」と教えられています。嫌な上司とは距離を取りながら、自分自身を振り返ることが必要になるでしょう。

そして自分の中で起きている因果の関係を明らかにするためには、他の人の力が必要になります。誰かに鏡になってもらい、自分が何に苦しんでいるのか見せてもらう必要があるのです。

相談に乗ってくれる人=良縁を通じて、自分自身の悩みの本当の原因がどこにあるのかわかってきます。

誰しも苦しみの中にある存在

仏教における因果の道理の良い所は何でしょうか。それは他者を批判しないこと、自分を責めないこと、の2点です。

まずは他者を批判しないことです。自分に起こる出来事は、すべて自分に原因があると考えるため、他人のせいには絶対にしません。

他人のせいにしている限り、自分の悩みは解決しないため、他者の批判には意味がないのです。

この考え方の根底には、苦しみの根本には執着があるという捉え方があります。執着は、何かにとらわれていることやこだわっていることです。

人は執着があるために正しい行いができないとされ、執着によって悪い結果を生み、苦しみを受けます。よって自分にとって嫌な人も、同じように執着の苦しみの中にあります。

誰しも同じように執着の苦しみの中にあると思えば、周りの人への見方も変わるのではないでしょうか?

そして自分を責めないことも良い所です。因果の道理で「全て自分に原因がある」と言われると、何もかも自分のせいだと、自分を責めてしまう人もいるようです。

自分を責めるとは、自分だけがダメな存在だ、と捉えることです。あるいは誰かと比べて自分はダメな存在だ、と捉える場合もあるかもしれません。

しかし因果の道理は、自分と自分以外をはっきり分ける考え方です。他人には他人の因果があり、自分には自分の因果があるため、自分だけが悪いことはありません。

この世に存在する人間は皆、ダメな部分があります。それに気づいて、少しでも良い方向に変わろうとしている時点で素晴らしい存在であると言えるのではないでしょうか。

自分の苦しみの原因を知り、乗り越える上では、決して自分を責める必要はないのです。

まとめ

ここまで仏教における因果の道理について紹介してきました。

仏教には難しいイメージもあるかもしれませんが、仏教は心穏やかに生きていくための教えが説かれています。

仏教では誰しもが仏になる心を持っている、という考え方(悉有仏性)があります。

穏やかな心になるために、少しでも自分のダメなところ(執着)を乗り越えようとすれば、必ず良い方向に向かいます。

そして自分が変わることで世界が変わっていきます。不思議なことのように思うかもしれませんが、自分が良い方向に変化すると、誰かにとっての良縁となっています。

そうすると自分を縁として、周りの人も良い方向に変化していくのです。因果の道理を学んで、心穏やかな生き方を目指しましょう。

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コメント

  1. siro より:

    他者を非難しない
    執着しない
    誰かと自分を比べない
    自分を責めない

    ついついやってしまいがちなことですが、自分の言動を振り返る時に意識するだけでも、その後の言動の仕方が変わってくるのかも知れない…と思いました

    自分の軸にバランスすることは、意識していないとですね
    これらは全て、自分の心を軽くする秘訣…でしょうか
    心が軽くなれば、良縁に目が向く…という事でしょうか

    ありがとうございます

    • よっしー よっちゃん より:

      siroさま
      これも仏教の教えと関わりますが、自分に起こることの原因は自分の中にあります。
      ですので、その原因を他人に求め、他人を責めたりすればそれは執着と言えるのです。
      本当に解決に向かうのであれば、常に自分のあり方を変える以外には手がないのだと思います。
      これも大きな法則性の1つですね。

  2. 名無しさん より:

    病気や慢性的な症状による悩みはどうやって解決したら良いのでしょうか?
    これも”悪縁”の一種だと思いますが、
    他人と違って自分の身体ですので離れる事ができません。

    どう捉えれば解決はしないまでも、良い方向に進めるでしょうか?
    何かアドバイスを頂ければ幸いです。

    • よっしー よっしー より:

      名無しさん様

      病気のことはなかなか難しい問題ですね。
      しかし身体の中で起きていることにも何かしらの因果があると思います。
      またどういったご病気なのか分からないので何とも言えませんが、いわゆる”病気”や”治療”といった概念は、人間が作り出したものです。
      本当の因果は、一般的な病気の説明とは全く違うところにあり、真の因果に反するような治療をすれば悪化していきます。
      癌と抗がん剤の関係はまさにそれで、本当は身体の老廃物をデトックスすれば治ると言います。
      一度、一般的な病気の枠組みから離れて自分の身体を俯瞰してみるのも、良いのかもしれません。

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