「人のために」という言葉の落とし穴 – ワクチン、ロシア・ウクライナ問題に通じるもの

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心・心理学

今回の記事から、ありすママファミリーの「よっちゃん」としてブログを書いていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

母が「真実」を伝える役割とするならば、私は「真実よりも前に真理に目覚める」をモットーにお話ししたいと思います。

いくら真実を知っても、それを受け止める心が出来上がっていなければ、正しい道に進めず、また迷いの中に戻ってしまうかもしれません。

情報を知ることも大切ですが、情報をどのように受け止めれば良いのか、そんな心の話を中心に書いていこうと思います。

今回は「人のため」という言葉に注目します。今起きているコロナ騒動や戦争報道には、「人のため」と言う言葉が巧みに利用されています。

どのように「人のため」と言う言葉が利用されているのか、「人のため」と言う言葉の落とし穴について書いていきたいと思います。

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「人のために」と言う言葉が利用されている

今、世の中で起きているコロナ騒動、そしてロシア・ウクライナ問題には共通することがたくさんあります。その中でも、世論が操作され、方向づけられている、と言うことが挙げられます。

少し調べればおかしなことに気づくはずなのですが、なぜ皆が同じ方向を向いてしまうのでしょうか?それは、「人のため」という心理を用いて巧妙に仕向けられている、という理由があります。

1月8日に「ありすママ親子のお話し会 in 横浜」でもお話しさせていただきました。その時にいただいたご質問で、印象に残っているものがあります。

それは「ワクチンを打つのも”人のため”と言われていますが、どう考えればいいのでしょう?」というものでした。

この質問をきっかけに、ここでは今起こっていることを、「人のため」という心理から読み解いていきたいと思います。

ワクチン問題から見る「人のために」の問題 – 人のために”自滅”してはいけない

まずは質問のあったワクチンの問題から行きましょう。

お話会では、「人のために」行動することの重要性を、仏教の観点からお話ししました。

“人のために”という慈悲の心が、全ての物事を良い方向に向かわせる、と仏教では言われています。仏説観無量寿経の真身観によれば、「仏心とは大慈悲これなり」という一節があります。

仏教では自他を分ける客観的な見方ではなく、自他は一体で全てのものを救おうとするような心を尊いものとします。

ものすごく簡単に言えば、「人のため」に動くことを指しています。そこで先ほど書いたような、ワクチンも人のためと言われるが、どういうことか?と言う質問があった訳です。

ではワクチンは、どのように紹介されているのでしょうか。例えば福岡県が動画を作成した「思いやりワクチン」があります。

http://webtv.pref.fukuoka.lg.jp/ja/movies/detail/4293

未来の子どものため、ワクチンは「思いやり」だというメッセージです。

また東京都でも”ワクション”というアプリのPRの動画がYouTubeに公開されています。

いずれの動画もワクチンは身近な家族や友達、恋人を守るために打ちましょう、という「人のために」というメッセージです。

しかし少しワクチンの状況を調べれば、これらの動画に、強い違和感を覚えるでしょう。

なぜなら厚労省からの報告だけでも、接種後の死者は1,474人、重篤者は31,221人が報告されています。(令和4年2月18日の厚生労働省の発表)

今までのワクチンであれば、1人でも死者が出れば即刻中止というような対応もあったはずです。こんなワクチンが中止とならず、”人のため”と推奨されているのが現状です。

こうしたデータは調べればすぐに出てくるのですが、よく調べない多くの人は、公的に推奨されていれば問題はないと思って打ってしまいます。

また中には、質問をくださった方のように、ワクチンの危険性と、綺麗な言葉で推奨されている現状の間で、何を信じればよいか迷ってしまう人もいるようです。

しかしここで言う「人のため」という言葉は、政治的に利用されていることに気を付けなければなりません。

仏教では人のために動いた人は、その功徳で喜ぶと言われます。人のために動けば、必ず結果もまた善であるのが、因果の道理です。

しかし実際はどうでしょうか。人のために打ったのに、重篤な副反応が出る人、そして死亡する人まで出ています。「人のため」に、打って“自滅”するような行いが善であるはずがありません。

しかも打った人は、打っていない人に対して「タダ乗り」だと言ったりして、”ずるい”と考える人まで出てきているようです。

そしてワクチン推奨の人と反対の人がいがみ合い、日夜SNSで言い争いが起きている修羅の世界が広がっています。

さらにはワクチンを打ったとしても、コロナ騒動は終わる気配を見せず、多くの人が望む”元通り”には程遠い状況です。

これが”人のため”の行い、善なる結果と言えるでしょうか?全く言えないと言うのが道理にもとづいた結論だと思います。

このようにワクチンにおける「人のため」は、身近な人へのため、と言う1点にだけに目を向けさせ、もっと根本的な自身の健康や全体への影響を見えなくさせています。

真に「人のため」の行動であれば、自分も他人も皆が幸せになれる行いであるはずです。このように「人のために」は1側面だけ見ていると、目的を見失うことがあるのです。

ワクチンで言われる「人のため」は、大事な問題から目を背けさせる”まやかし”なのです。

ウクライナ問題から見る「人のために」の問題 – 大義名分は利用されやすい

また今起きているロシアとウクライナの問題についても、コロナ騒動やワクチンの問題と同じく、報道の問題が起こっています。

大手メディアは、ロシアがいきなりウクライナに侵攻したような話ぶりですが、実際には紛争のあった地域です。また爆発の映像などは、フェイクが飛び交い、報道を簡単に鵜呑みにするのは危険です。

母のブログでも、ウクライナとロシアの関係性、またウクライナ国内で起きていた紛争など、大手メディアが言わないことをまとめています。

母のブログ「ロシアとウクライナについて‼️本当の本物の話‼️

『ロシアとウクライナについて‼️本当の本物の話‼️』
【ロシアとウクライナについて】うわー、これは凄い--‼️だって、元駐ウクライナ大使の話だもん☺️やはり、本物の話は説得力...

そして日本国内の世論は、「ロシアが攻撃を始めた」「プーチンは悪だ」「戦争は反対だ」と一様に発信する人ばかりになってしまいました。

これも非常に気持ち悪い状況です。一定の方向に世論が操作されているような感覚があります。

なぜ「戦争反対」の一色に染まってしまったのでしょうか。この心理も、実は先ほどのワクチンと同じく、「人のために」の感情が利用されているのです。

ワクチンは「身近な人のため」でしたが、ロシアの場合は、もっと大きな意味での「人のため」に目を向けさせました。

それは、「暴力・戦争は許さない」という博愛主義的な視点です。確かに争いや誰かが傷つくことは、避けなければいけない点では全くの正論です。

ただし詳しい事情を報道せず、単純すぎるストーリーを信じ込ませた点が問題でした。

メディアは「ロシアがウクライナが侵攻」という非常に単純化した報道をしました。ウクライナがロシアの犠牲になっていると思わせると、義憤の感情(道理に反することへの怒り)が起こります。

義憤の感情は、「ロシアが敵だ」と思うことで、ロシアへの懲罰感情へと変わります。このように、わかりやすい二項対立の問題に仕立て上げ、勧善懲悪ストーリーにしてしまったのです。

1度このような感情に支配されると、自らが信じるストーリー以外の話は聴こうとしません。

しかも「戦争反対」という正論を掲げていますから、絶対に自分の主張は正しいと思うようになってしまうのです。

仏教から考えると、広い意味で平和を願うことは慈悲の心ですが、自分の主張が正しいと信じて疑わない心は「執着」です。

執着とは1つのことにとらわれることであり、心を曇らせて自分の進むべき道を見失わせます。

執着にとらわれる原因は、自分自身で判断しないためです。メディアが作った「人のために戦争反対」というストーリーに乗せられているのです。

そして、報道を信じている人は、報道を見て心を病んでいるようです。平和を願う心は大切ですが、自分の軸がなければ、執着によって苦しい心の状態から抜け出せないのです。

こうした苦しみの根本を「執着」と言い、この状態から脱するには「執着」にとらわれていると自覚することが必要です。

そして状況についてよく調べるべきだと思います。そして何が善に向かうのか、自分で判断して態度を決めるべきではないでしょうか。

「人のため」は、このように大義名分として便利に利用され、自分で判断をしない人々を感情的に支配してしまうのです。そして「人のため」は、苦しみを生み出す執着へと変貌してしまいます。

これに囚われた人たちは、迷いの道を進むことになります。嘘の情報に惑わされ、処罰感情に支配され、自分で自分を苦しめる”自滅”の道を進んでしまうのです。

【ロシア・ウクライナ問題】「平和のため」の心理が逆効果になる悲劇 – 戦争反対デモが戦争を助長する

本当に「人のために」行動するために必要なこと

ここまで述べてきたように、「人のために」と言う言葉は、政治的に利用されやすく、自分では「人のために」行動しているつもりでも、実は利用されてしまっていることがあります。

「人のために」と言う点から見れば、ワクチンもロシア・ウクライナの問題も根本は同じです。

面白いことに「戦争反対」と言っている人たちの多くが、ワクチンを打って一生懸命マスクなどコロナ対策をしている人たちなのです。

いずれにも共通するのは、自分で物事を判断する、ということを放棄している点です。あるいは自分では判断しているつもりでも、それ以前に用意された考え方を刷り込まれてしまっています。

上位層は、こうした心理的なやり方に長けています。論理的に考えようとする人ほど、実は「人のため」のような感情に訴えかけるやり方に簡単に引っかかってしまうのです。

それに気づいていない人に、この訴えは残念ながら届きません。ですので、色んな真実に気づき始めた人にこそ、この心理的な側面にも自覚的であってほしいと思います。

真実を知ったとしても、それを受け止める心が固まっていないと、今回紹介したような「人のため」のようなメッセージに惑わされてしまいます。

そのためにも、1月8日のお話し会でもお伝えした「自灯明・法灯明」の考え方が大切になってきます。

「自灯明」とは、自分自身をしっかり持つことを言います。

どんな情報が自分の前に来たとしても、それを自分でまずは受け止めることが大切です。

誰かの意見や考え方を鵜呑みにして、自分の行く先を委ねてはいけません。自分の人生は、自分自身でしかかじ取りができませんので、人に委ねると必ず間違った方向に進みます。

そして「法灯明」とは、この宇宙全体を流れる真理の法則を知るように努めることです。私自身はその真理を仏教から学びました。

たとえば最初に紹介した、仏教における慈悲の力などは真理の法則です。これらを知って、そして自分自身で実践して体感することで、はっきりと自覚することができます。

自分自身の軸を持ち、真理の法則に逆らわずに生きること。これを実践すれば、周りにどんなことを言われようとも、自分の進む道が開けてくるでしょう。

より詳しい解説は、下記の記事から読んでみてください。

コロナ騒動を穏やかに生きるために(後編) – 科学”信奉”の心理と「自灯明・法灯明」の考え方

まとめ

今回は「人のために」と言う言葉の落とし穴について述べてみました。実に巧妙に、心理的な方法で利用されている言葉であることがお分かりいただけたかと思います。

最初にも述べましたが、私は「真実より先に真理に目覚める」ことが大切だと思っています。なぜなら、情報の受け止め方はその人の心の在り方次第だからです。

情報を正しいか、正しくないか、など客観的な見方だけで見るのは、3次元的な物の見方です。

その情報はどんな意味を持ち、人を幸せにするものなのか、頭ではなく心に照らしてみるのが5次元的見方だと思います。

そして真実は隠すことができますが、真理は隠すことができません。誰のもとにも平等にやって来るのが真理ですから、真実より先に真理に目覚めてください。

この世界は3次元的で物質的な世界が広がっていますが、心は5次元に向かいましょう。その中心はあなたの心であり、誰かの言っている言葉や本当のような嘘に騙されてはいけないのです。

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コメント

  1. siro より:

    仏教の真理の法則というものを初めて知りました
    慈悲の心や執着の心など、自分の中にも両方あるなぁ…と思いました
    3次元的な見方も今まで沢山してきたと思います
    人の心を幸せにする情報が5次元的…という見方は、ハッとするものでした
    3次元的な情報の真偽が沢山行われている時勢ですが、心を幸せにする要素を探すことも時には必要になりますね
    宇宙を流れる真理…というのもとても深くて広がりのある言葉ですね
    私たちに視点は地上の物事に集中しがちですが、地球内部や大気圏外で起こっていることからも目を逸らされがちだと思います
    何の為に地上で争いが演出され、ある種の産業的な利益が生み出されているのか…宇宙空間で長年構築され利用されてきているものがあるのか…それは私たちの心に幸せを感じさせる5次元的なものなのか…
    私たちの視野を拡げる時期にきているのかもしれない、と感じました
    心に響くお話をありがとうございました

    • よっしー よっちゃん より:

      siroさま
      真理の法則は、仏教に限定せずとも、普遍的な物だと思います。
      私の中で起こることも、宇宙全体で起きていることも、同じ法則性で動いていると思っています。
      情報の真偽だけにとらわれているうちは3次元的ではないかと感じ、私自身も真偽だけを問うのを止めました。
      物事全てにおいて通用する法則性を、どのように自分の中で自覚していくか、ということが今後必要なことのように感じます。

  2. デモクラシーサンデー より:

    初めて、投稿します。
    このブログの内容の通り、「人のために」という言葉は聞こえの良い言葉で誰もが騙されやすく、誘導されやすい言葉になりますね。
    「人のために」という言葉以外にも、「みんなのために」や「国民のために」など政治家や役人、マスコミなどあらゆる人たちが使っている、一見聞こえの良い言葉があまりにも多すぎますね。
    巷では、コマーシャルや広告・宣伝のワンフレーズはもとより、今回のブログの内容のような政治や経済問題にまで、あまりにも思考停止させるようなワンフレーズが多く出回っている気がします。本当に、由々しき問題だと思います。
    とにかく、真実の情報を得ることは重要なことですが、それ以上に自分自身はどのように生きていくかなど、自分自身のことをしっかり見つめていくことが重要かと思います。

    • よっしー よっちゃん より:

      デモクラシーサンデーさま

      コメントありがとうございます。
      おっしゃる通り、「人のために」と言う言葉はあらゆる場面で都合よく利用されているように感じています。
      絶対的に良いこと、と思ってしまうと、そこで思考停止してしまうものです。
      真実を知る前に、自分自身の心の在り方をより良い方向に向けることこそ、今重要になっていると思います。

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